中振村
なかぶりむら
[現在地名]枚方市東中振一―二丁目・北中振一―四丁目・南中振一―三丁目・香里園〈東之町・桜木町・山之手町〉・香里園町・菊丘南町・翠香園町・走谷一―二丁目・出口一丁目・同三丁目・香里ヶ丘六丁目・同八丁目
村東部は洪積層の丘陵台地、西部は沖積層の淀川低地からなる。集落は丘陵の麓に沿って南北に細長く連なる。茨田郡に属し、東は交野郡茄子作村、北は走谷村、南は木屋村・郡村(現寝屋川市)。古代茨田郡佐太郷(和名抄)の比定地の一。「河内国小松寺縁起」に引く保延五年(一一三九)の勧進奉加帳と久安元年(一一四五)の近衛天皇綸旨に「中振郷」がみえる(ただしこの文書は検討を要する)。伊香賀郷地頭土屋宗直の建武四年(一三三七)八月日付軍忠状(土屋文書)に当地の武士と思われる「中振佐渡次郎入道」の名がみえる。康暦元年(一三七九)八月五日の土屋浄光譲状(同文書)によると、当時「中布利郷」は土屋氏の所領で、観応二年(一三五一)土屋氏が恩賞として得たものである(応永五年四月日「土屋宗能目安案」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 