綸旨(読み)りんし

精選版 日本国語大辞典 「綸旨」の意味・読み・例文・類語

りん‐し【綸旨】

〘名〙 (「りんじ」とも。綸言の旨の意)
① 天子などの命令。
※日本後紀‐延暦二三年(804)三月庚子「召遣唐大使従四位上藤原朝臣葛野麻呂〈略〉両人、賜餞殿上。近召御床下、綸旨慇懃」 〔薛廷珪‐授河中節度判官温緒水部郎中制〕
古文書様式の一つ。勅旨を受けて蔵人から出す文書。普通は薄墨色の紙に書かれる。
文華秀麗集(818)序「雖別降綸旨、俯同縹帙

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デジタル大辞泉 「綸旨」の意味・読み・例文・類語

りん‐じ【×綸旨】

《綸言の旨の意。「りんし」とも》
天子などの命令。また、その内容綸命
蔵人くろうどが天皇の命を奉じて出す奉書形式の文書。平安中期以後に多く出され、料紙は多く薄墨色の宿紙しゅくしを用いた。

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改訂新版 世界大百科事典 「綸旨」の意味・わかりやすい解説

綸旨 (りんじ)

古文書学上の用語。天皇の仰を奉(うけたまわ)った側近が,その意を体して発信する書状形式の文書。《礼記(らいき)》に〈王言如糸,其出如綸,王言如綸,其出如綍〉とあるのに由来し,天子の言葉を綸言といい,綸言の旨を綸旨といった。日本の古代・中世・近世の政治において,天皇は公的にはみずから筆を執って文書を発給することがなく,その政治的命令は言葉をもって側近に伝え,側近がこれを文書にして,臣民や当事者に伝えた。その天皇の口頭命令自体,あるいは命令の内容を綸旨といったが,さらに転じてその命を体して側近が発給する書状を綸旨と呼んだ。文書としての綸旨の文章のうちに,〈綸旨如此〉とあるのは,口頭命令としての綸旨を指す例であり,綸旨を伝達した遵行(じゆんぎよう)の文書に〈綸旨如此〉とあるのは,文書としての綸旨を指す例である。綸旨の初見について定説はないが,ほぼ10世紀末ないし11世紀初めころに成立したものと見られている。

 様式の基本は一般の書札と同じで,はじめに本文,本文の終わった次行に日付,日付の下に差出人の名,日付の次行上段に宛名を書く。現在の封書と同じ形式である。ただ,天皇の命を近臣が奉ったものであるから,本文は,初期の綸旨では〈被 綸旨云,……綸旨如此,悉之〉というように,また鎌倉時代以降の綸旨では〈天気如此,仍執達如件〉〈天気所候也,仍言上如件〉のごとく,天皇の仰によって執行する旨の文言がみられる。初期の綸旨は,蔵人(くろうど)頭ないし五位蔵人が奉じ,どちらかといえば天皇家の雑務処理のために用いられたが,鎌倉中期以降では,天皇が院に代わって政務を執行する際に,従来の官符官牒,官宣旨等に代わる公文書として綸旨を用いるようになる。その意味で,天皇親政における綸旨は,院政における院宣同格の文書ということができる。綸旨が公文書として使用されるに従い,奉者も蔵人だけではなく,弁官やその他の政務執行の奉行がこれを奉ずるようになる。なお,綸旨は宿紙(薄墨紙)に書かれるとする説もあったが,これは誤りで,院宣にしろ綸旨にしろ,奉者が蔵人頭ないし蔵人のときにのみ宿紙を用い,他の奉者の場合は通常の素紙を用いている。
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百科事典マイペディア 「綸旨」の意味・わかりやすい解説

綸旨【りんじ】

奉書(ほうしょ)形式の文書の一様式で,蔵人(くろうど)が天皇の意を奉じて出す。多くは薄墨(うすずみ)色をした宿紙(しゅくし)(漉返(すきかえし)紙)を用いたので〈薄墨の綸旨〉の名がある。天皇の政治権力が強大である時代ほど効力が重んぜられたが,とくに建武(けんむ)新政期前後,後醍醐天皇親政時に多く発給された。なおこの時期の偽(にせ)綸旨の多発についても注目すべきであろう。
→関連項目紙屋紙観応の擾乱古文書裁許状女房奉書

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「綸旨」の意味・わかりやすい解説

綸旨
りんじ

天皇の命を受けて蔵人(くろうど)が発行する文書。公式令(くしきりょう)に定める天皇の発給文書は詔書勅書などであったが、平安時代に蔵人所が設置されると、蔵人が勅命を受けて出す綸旨や宣旨(せんじ)がこれに加わった。綸旨は勅命により蔵人が自分の署名で発行する奉書形式の文書で、もともと私的な書状形式であり、内容も軽微な事柄に用いられたが、のちには政治的・公的事柄にも使用された。平安中期以降の綸旨が現存するが、天皇権力の伸長著しかった建武(けんむ)政府およびその後の南北朝時代に、後醍醐(ごだいご)天皇とその子孫の南朝で発行したものが数多く残っている。綸旨の用紙は宿紙(しゅくし)(漉(す)き返した紙で、薄墨(うすずみ)紙、紙屋(こうや)紙ともいう)が普通であるが、ときに白紙も使われた。

[百瀬今朝雄]

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普及版 字通 「綸旨」の読み・字形・画数・意味

【綸旨】りんし

勅旨。唐・廷珪〔河中節度判官温緒水部郎中に授くる制〕爾(なんぢ)能く綸旨、來貢の書を奉じ、先王の格言を以て、我が聽を廣めんことを欲し、人の行事を列し、我が怠を規(ただ)さんことを思ふ。

字通「綸」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「綸旨」の解説

綸旨
りんじ

天皇の意思を伝達する奉書形式の文書。天皇の秘書官である蔵人(くろうど)が天皇の意思を承り,形式上の差出人となって出される。平安時代に発生した。本来は私的な内容にのみ使用されたが,やがて公的な内容にも使用されるようになった。「綸旨(綸言)を被るにいわく」で始まり,「綸旨(綸言)此くの如し」「天気此くの如し」「天気候(そうろう)ところなり」などで終わるのが一般的だが,「仰せに依り執達件の如し」「御気色(みけしき)候ところなり」で終わり,一般の御教書と区別がつかない場合もある。1回使用したのちに漉き返した紙の宿紙(しゅくし)を使用することが多かった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「綸旨」の意味・わかりやすい解説

綸旨
りんじ

蔵人が勅旨を受けて出す奉書形式の文書。初見は万寿5 (1028) 年の後一条天皇綸旨。宣旨に代って多く用いられ,特に南北朝時代,頻繁に用いられた。普通宿紙 (→薄墨紙 ) が用いられたが白紙のもあった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「綸旨」の解説

綸旨
りんじ

天皇の意を伝えるための文書の一形式
詔勅・宣旨などの形式が煩雑なのに比べ,天皇の側近の蔵人 (くろうど) が,私文書の形式で相手に伝える簡単なもの。薄墨色の宿紙に書かれるのが正式。天皇の意を伝えるものとして,効力は他の文書より優先する。

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世界大百科事典(旧版)内の綸旨の言及

【公家様文書】より

…また上卿から外記(げき)に命じて発給させる外記方宣旨,上卿から弁に命じ,弁から史に命じて作成される弁官方宣旨,遥任の国司や大宰帥が多くなったため,在国の官人に国司や帥の命を伝える国司庁宣,大府宣もこの系統である。公家様文書溯源の第2は,私文書たる書状の系譜を引くもので,綸旨(りんじ),院宣,令旨(りようじ)(公式様とは別),御教書(みぎようしよ),長者宣などである。貴人の側近に仕える人(天皇の場合は蔵人,上皇の場合は院司)が主人の仰せを承り,書状の形式で相手に伝えるもので,本来私文書であるが,仰せの主体の権威がそのまま文書の効力に機能した。…

【古文書】より

…令外様文書は公式様文書に起源を有するもので,これもすべて楷書体で書かれている。(e)書札様文書 平安末期に院政が成立し,鎌倉中期以降それが本格化するとともに,本来は私信であった書札から出発した院宣綸旨(りんじ)などの書札様文書が,やがて国政の最高の文書として用いられるようになる。それとともに公家・寺社の間にも御教書(みぎようしよ)が行われるようになり,武家においても関東・六波羅・鎮西の御教書が用いられた。…

【伝奏】より

…政務の執行は,奉行の奉ずる院宣によって行われるが,所領,所職の与奪,安堵にかかる重事などは,伝奏自身が奉行を兼ね院宣を奉じた。 中世以降,院政が途切れ,天皇が直接政務を握ることを親政というが,この親政もすべて太政官を通じて行う政治ではなく,院政において院宣をもって執行した政務事項は,やはり太政官を経ず直接奉行の奉ずる綸旨(りんじ)をもって行った。その際,伝奏の任にあたったのが,当初は蔵人頭であったが,少なくとも伏見天皇親政(13世紀末)のころには公卿の伝奏が置かれるようになった。…

※「綸旨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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