改訂新版 世界大百科事典 「中沢氏」の意味・わかりやすい解説
中沢氏 (なかざわうじ)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…その後も国役をめぐる国衙との抗争がみられるものの荘支配は安定し,02年に46町であった荘田は22年(保安3)には荘田60町となり加納田も20余町におよんだ。 鎌倉時代,承久の乱(1221)後に中沢基政が地頭として入部して以来,東寺と中沢氏は所務をめぐる争いをくり返した。1241年(仁治2)に始まる地頭請でも年貢抑留が続き,東寺の訴えにより94年(永仁2)下地中分が決定,翌年池尻村内一井谷・賀茂茎谷・西田井村の田25町,畠5町と山林が東寺分と定められた。…
※「中沢氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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