20世紀日本人名事典 「中泉正徳」の解説 中泉 正徳ナカイズミ マサノリ 大正・昭和期の放射線医学者 東京大学名誉教授。 生年明治28(1895)年4月16日 没年昭和52(1977)年2月10日 出生地愛知県 学歴〔年〕東京帝大医学部〔大正8年〕卒 学位〔年〕医学博士〔大正15年〕 主な受賞名〔年〕服部報公賞〔昭和13年〕「レ線の集光照射法の研究」 経歴昭和2年放射線医学研究のためドイツ、オーストリア、米国に留学、6年帰国。9年東大医学部教授となり、放射線医学講座を担当。27年医学部長併任。29年ビキニ第五福竜丸事件以来、厚生省原爆協議会などの委員。31年東大退官、名誉教授。著書に「臨床放射線学」「臨床放射線治療学」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中泉正徳」の解説 中泉正徳 なかいずみ-まさのり 1895-1977 大正-昭和時代の放射線医学者。明治28年4月16日生まれ。中泉行徳(ゆきのり)の長男。昭和9年母校東京帝大の放射線医学講座初代教授となり,27年東大医学部長。レントゲン線の集光照射法の研究で服部報公賞をうけた。昭和52年2月10日死去。81歳。愛知県出身。著作に「臨床放射線学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例