日本歴史地名大系 「中津浦村」の解説 中津浦村なかつうらむら 長崎県:平戸市中津浦村[現在地名]平戸市上中津良町(かみなかつらちよう)・敷佐町(しきさちよう)下方(しもがた)村、紐差(ひもさし)村の南に位置し、西に白(しら)岳、北に有僧都(ゆうそうづ)岳、東に慈眼(じげん)岳がある。中央部を中津良川が流れ、下中津浦で若宮(わかみや)浦に注ぐ。この浦は神船(しぶね)崎などにより深い入江となっている。大津吉(おおつよし)と称された平戸島の中ほどに位置することから、中津良とよばれたという。江戸時代は平戸藩領平戸筋に属し、当初はさらに南の津吉村のうちとされていた。正保国絵図に中津浦村とあり、高二四一石余。 中津浦村なかつうらむら 大分県:臼杵市中津浦村[現在地名]臼杵市中津浦大浜(おおはま)村の北、臼杵川河口北部に位置し、臼杵湾に東面する小漁村。慶長二年(一五九七)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ高三四石余、うち田方九石余・畑方二五石余、村位は中。同一一年の惣御高頭御帳では藤田村組に属し同高、村役人に三四郎・八郎・五郎二郎を記す。寛永一一年(一六三四)の郷村高付帳(臼杵藩政史料)では井村組に所属、のち佐志生組に属した(万用集)。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によると本高二八石余・出来高六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by