日本歴史地名大系 「中熊村」の解説 中熊村なかぐまむら 大分県:大野郡朝地町中熊村[現在地名]朝地町栗林(くりばやし) 中熊臼木(うすぎ)村の北西、亀(かめ)ヶ岳の北東麓にあり、平井(ひらい)川支流真竹(またけ)川(中熊川)が南東へ流下する。正保郷帳に村名がみえ、田高一五二石余・畑高七三石余、阿志野(あじの)郷に属し、茅山有、日損所と注記される。旧高旧領取調帳では高二三一石余。元禄三年(一六九〇)真竹川上流に新規に四方水(よほうず)堤が築造された(地方温故集)。水面積は約三反八畝(両郡古談)。安永七年(一七七八)には阿志野組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。明治八年(一八七五)臼木村など二ヵ村と合併、栗林村となる。烏嶽(からすだけ)神社は「豊後国志」には山神を祀るとあり、社伝では文暦元年(一二三四)西(にし)嶽(亀ヶ岳か)から天日子穂之邇邇芸命を遷座し、地主神を摂社としたとある(朝地町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by