中矢箇部村(読み)なかやかべむら

日本歴史地名大系 「中矢箇部村」の解説

中矢箇部村
なかやかべむら

[現在地名]三橋町柳河やながわ

枝光えだみつ村の東、沖端おきのはた川北岸に位置し、久留米柳川往還の西側にある。村名は中矢加部などとも記される(元禄国絵図など)。弘治四年(一五五八)から永禄一三年(一五七〇)にかけて仏工集団が在住し、工房をもっていたという(故郷を知る)。文禄四年(一五九五)の知行方目録に中矢賀部村とあり、高二二三石余。慶長二年(一五九七)の柳川領村高附帳(立花家文書)では分米三〇四石余、村柄は中。元和七年(一六二一)の郡村帳では玄蕃高三五七石余・新田高八石余、小物成は山手で米一斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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