久留米柳川往還(読み)くるめやながわおうかん

日本歴史地名大系 「久留米柳川往還」の解説

久留米柳川往還
くるめやながわおうかん

柳川城下の北端にある外町口ほかまちぐちからほぼ直線状に北上し、久留米城下へと至る街道田中たなか道ともよばれる。現在の主要地方道久留米―柳川線がおおむねこれにあたる。「筑後地鑑」に柳川海道とみえるが、柳川では久留米海道とよばれることも多かった(柳河明証図会)。慶長六年(一六〇一)筑後一国を与えられ柳川城に入城した田中吉政は、同七年、本城の柳川城と最も重要な支城である久留米城を結ぶ新道を造らせた(「慶長七年台所入之掟」中川文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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