山手(読み)ヤマテ

デジタル大辞泉 「山手」の意味・読み・例文・類語

やま‐て【山手】

山よりの土地。山のほう。やまのて。⇔海手うみて
中世、山中や陸路に関所を設けて、通行人から徴収した税。→川手1
江戸時代、領主の山林から薪などを採取する代償として村に賦課された税。山手米。山手永。

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精選版 日本国語大辞典 「山手」の意味・読み・例文・類語

やま‐て【山手】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 山のある地帯。山に近い所。山よりの土地。山の手。⇔海手
    1. [初出の実例]「隼人は山手、平馬は海手、急げ急げと追立やり」(出典:浄瑠璃・浦島年代記(1722)一)
  3. 中世、守護・領主などが山中・陸路に関所を設けて通行人から徴収した税。関銭。関手。
    1. [初出の実例]「構新関、号津料、取山手河手、成旅人煩事」(出典:内閣文庫本建武以来追加‐貞和三年(1347)三月九日)
  4. やまてまい(山手米)」の略。
    1. [初出の実例]「東小田原〈随願寺〉、修理田八反在之、学衆之内此間押知行之、山在之、毎年五貫計山手也」(出典:大乗院寺社雑事記‐明応二年(1493)一二月一九日)
  5. やまのて(山手)

やま‐の‐て【山手】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 山の方。山に近い方。山をひかえた地域。
    1. [初出の実例]「九郎義経こそ三草の手を責おとひて、すでにみだれ入候なれ。山の手は大事に候。おのおのむかはれ候へ」(出典:平家物語(13C前)九)
  3. 江戸あるいは東京で、やや高台にある住宅地。江戸時代には麹町、四谷、牛込、赤坂、小石川、本郷などをいい、殆ど大名、旗本などの武家屋敷と寺院で占められ、町家は稀だった。明治以降、官吏や地方出身の軍人などが多く居住する地域となる。現在は広く世田谷・杉並区を含める。下町に対していう。
    1. [初出の実例]「浅草芝口神田山(ヤマ)の手(テ)、其の外の寺々野山ごとに」(出典:仮名草子可笑記(1642)一)

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日本歴史地名大系 「山手」の解説

山手
やまて

[現在地名]富江町山手郷

山下やましたの北西に位置する。平家の残党が玉之たまの(現玉之浦町)踊瀬おどりぜ上平かみだいらを経て当地に移り住んだと伝える。近世は富江村の枝郷。琴石こといし村のうぐえから移建されたという瑞現ずいげん寺は天和元年(一六八一)同じ富江村の松尾まつお郷に移された。延宝年間(一六七三―八一)宝郷ほうきよう(明治初年廃寺)が創建され、薬師堂に安置された本尊は眼病に霊験があるとして信仰を集めた。元禄一六年(一七〇三)・正徳六年(一七一六)銘の経塚がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山手」の意味・わかりやすい解説

山手(やまのて)
やまのて

東京都、区部西側の台地からなる地区。「山の手」とも記す。東京区部は、赤羽、上野、皇居、品川(御殿山(ごてんやま))を結ぶ、ほぼ南北方向の急崖(きゅうがい)によって洪積台地沖積低地に分かれる。それらを境する崖(がけ)は飛鳥(あすか)山、紅葉(もみじ)山、愛宕(あたご)山などのように低地からみると山をなしていることから山手といわれ、山手に対して低地を下町(したまち)とよぶ。

 標高約20~180メートルの平坦(へいたん)な武蔵野台地(むさしのだいち)のうち、吉祥寺(きちじょうじ)付近を通る南北線を境として、東部と西部では地形や地質がやや異なっている。この東部は東京都区部にあたり、とくに山手台地として区分される。山手台地のうち神田(かんだ)川―目黒川間の淀橋(よどばし)台(地)と立会(たちあい)川―多摩川間の荏原(えばら)台(地)は、標高40メートル余りのやや高い台地面で、武蔵野の大部分を占める武蔵野面より形成は古く、かつては浅海の海底面であった。谷は浅く緩やかで開析谷が多く、台地は複雑な地形をしている。それに対し、神田川以北の上野、本郷、目白台(地)や南の目黒台(地)は武蔵野面で、標高約20~40メートル、谷は直線状に切り込み、支谷は少ない。ここはかつて荒川や多摩川の系統の河川が運んできた土砂の堆積(たいせき)層からなる。山手台地は侵食谷で刻まれて坂が多く、下町の水路と橋に対して対照的な景観を示している。

 江戸時代、山手は武家屋敷、寺社用地として利用され、下町の町屋敷と対照的であった。明治維新後、武家屋敷地跡は軍用、皇室、官用地となり、現在は住宅地、外国大公使館地、政府機関、事務管理機能のビル街を形成している。環状線の山手線は、山手の重要な交通機関として多くの乗客を運び、新宿、池袋、渋谷は郊外私鉄のターミナルとして副都心とよばれる繁華街を形成している。サラリーマンなどが多く住み、東京人として、下町の江戸っ子気風と違った雰囲気をもっている。

[沢田 清]


山手(岡山県の旧村名)
やまて

岡山県南部、都窪郡(つくぼぐん)にあった旧村名(山手村(そん))。現在は総社市(そうじゃし)の南東部を占める地域。旧山手村は、2005年(平成17)清音(きよね)村とともに総社市と合併した。倉敷(くらしき)市の北に接し、国道429号が通じる。かつて山方(やまかた)とよばれた地方で、岡山平野の中の丘陵福山(302メートル)の北麓(ろく)にあたる。旧山陽道が通じ、福山山頂には南北朝時代の福山城跡(国の史跡)がある。古墳も多く、吉備路風土記(きびじふどき)の丘県立自然公園の一部を占め、吉備考古館や観光拠点施設の吉備路もてなしの館がある。水田地域であるが園芸農業も盛んで、セロリ、モモ、キュウリ、メロン、ブドウなどを産出する。

[由比浜省吾]

『『山手村史』全2巻(2003、2004・山手村)』


山手(やまて)
やまて

山手

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改訂新版 世界大百科事典 「山手」の意味・わかりやすい解説

山手 (やまのて)

都市が台地と低地にまたがって成立する場合,低地の下町(したまち)に対して台地部を〈山の方〉という意味で山手という。東京では〈やまのて〉,横浜や神戸では〈やまて〉という。東京の山手は武蔵野台地東端にあたる山手台地(本郷台,淀橋台)を指すが,その西限は1885年の日本鉄道赤羽~新宿~品川間(現,JR山手線,埼京線の一部)が開通して,その路線の内側が目安となった。山手台地は標高20~35m,低地部との比高は大部分が10~20mで,主として神田川水系と古川水系の谷が樹枝状の谷を刻んでいる。

 すでに井原西鶴の《好色一代男》(1682)に,吉原の太夫よし田を寵愛した〈山の手のさるお方〉とあり,山手のほとんどは大名や旗本の武家屋敷と寺社で占められ,町家は少なかった。〈当世はやり言葉といふ,御旗本山の手筋より出る也〉(《紫のひともと》1683)といわれるように,通人もあらわれた。また下町の庶民にとっては,〈いっそ飛鳥山へ花見に行,山の手者の女を見よふ〉(洒落本《風流仙婦伝》1780)とうつる存在であった。明治初期の山手は,武家屋敷の荒廃で一時期桑畑や茶畑と化したが,中期以後,〈貴顕紳士の邸宅〉(《日本名勝地誌》)が立ち並ぶようになった。その後大正年代まで続く山手の宅地化は,関東大震災と第2次大戦の戦災を契機にその範囲を広げ,やがて目黒,渋谷,中野,杉並,世田谷も〈山手〉と呼ばれるようになった。
下町
執筆者:


山手 (やまて)

古代~近世の入山料の称。11世紀末ごろより,寺院など荘園領主の所有する山野から薪や落葉などを採取する代償として課税されたもの。南北朝期になると〈津料と号し,山手河手を取る〉〈津々関々山手河手〉のように,河手津料などと同様通行税(一種の関銭)として徴収された。近世になると山手米,あるいは山手米永として領主や寺社領などの持山への入会(いりあい)料として,村方から上納する米銭である小物成(こものなり)の一つとなった。
執筆者:


山手 (やまて)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山手」の意味・わかりやすい解説

山手
やまて

岡山県南部,総社市南東部の旧村域。岡山平野北西部に位置する。 2005年総社市,清音村と合体し総社市となった。農業が主産業で,イネのほかセロリー,果樹,イグサを栽培。近年近郊型農業を行なう。備中国分尼寺,福山城跡 (ともに国指定史跡) がある。古墳が多く,吉備路風土記の丘県立自然公園に属する。

山手
やまて

(1) 鎌倉~室町時代,荘園領主らが関所で通行人や貨物に賦課,徴収した一種の通行税。 (2) 江戸時代の小物成の一種。山林原野の用益の代償として課された雑税の一種。 (3) 入会山の地元の村落,個人が,入会者より徴収した豆,ひえ,米などの入会料。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山手」の解説

山手
やまて

②江戸時代,小物成の一種
①鎌倉・室町時代,荘園および封建領主が陸路の要地に設けた関所で人や物品に課した関銭。
山野でとれる物に対する税。
③入会 (いりあい) 山の入会料。

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事典・日本の観光資源 「山手」の解説

山手

(神奈川県横浜市中区)
かながわ未来遺産100」指定の観光名所。

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百科事典マイペディア 「山手」の意味・わかりやすい解説

山手【やまのて】

下町

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世界大百科事典(旧版)内の山手の言及

【下町】より

…広義には都市の低いほうにある町をいうことばで,高台を指す山手の対語である。東京(江戸)では京橋,日本橋から神田,下谷,浅草方面に町家が多く,人口の密集した地域が低地にあったことから,狭義にはこの地域を指す。…

【東京[都]】より

… 廃藩置県後,政府や東京府は旧諸藩邸を接収して官・軍用地にあて,また富国強兵・殖産興業の方針のもとで官営工場を設立するとともに,陸・海軍省所管の軍事工場や軍事施設も設置していった。他方,近代都市をめざして鉄道網も整備され,83年には現東北本線の一部が開業して上野が東北方面への玄関となり,85年には東海道本線との連絡を目的として現山手線の一部が開業,1925年に環状運転されるようになった。市街地改造論や築港問題も政府や東京府関係者の間で検討され,そうした動きは,1888年以降の東京市区改正事業として,道路(鉄道馬車の普及に伴う道路の舗装と拡張),水道(木管水道から鉄管水道への改良)の整備に結びついた。…

※「山手」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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