出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都、区部西側の台地からなる地区。「山の手」とも記す。東京区部は、赤羽、上野、皇居、品川(御殿山(ごてんやま))を結ぶ、ほぼ南北方向の急崖(きゅうがい)によって洪積台地と沖積低地に分かれる。それらを境する崖(がけ)は飛鳥(あすか)山、紅葉(もみじ)山、愛宕(あたご)山などのように低地からみると山をなしていることから山手といわれ、山手に対して低地を下町(したまち)とよぶ。
標高約20~180メートルの平坦(へいたん)な武蔵野台地(むさしのだいち)のうち、吉祥寺(きちじょうじ)付近を通る南北線を境として、東部と西部では地形や地質がやや異なっている。この東部は東京都区部にあたり、とくに山手台地として区分される。山手台地のうち神田(かんだ)川―目黒川間の淀橋(よどばし)台(地)と立会(たちあい)川―多摩川間の荏原(えばら)台(地)は、標高40メートル余りのやや高い台地面で、武蔵野の大部分を占める武蔵野面より形成は古く、かつては浅海の海底面であった。谷は浅く緩やかで開析谷が多く、台地は複雑な地形をしている。それに対し、神田川以北の上野、本郷、目白台(地)や南の目黒台(地)は武蔵野面で、標高約20~40メートル、谷は直線状に切り込み、支谷は少ない。ここはかつて荒川や多摩川の系統の河川が運んできた土砂の堆積(たいせき)層からなる。山手台地は侵食谷で刻まれて坂が多く、下町の水路と橋に対して対照的な景観を示している。
江戸時代、山手は武家屋敷、寺社用地として利用され、下町の町屋敷と対照的であった。明治維新後、武家屋敷地跡は軍用、皇室、官用地となり、現在は住宅地、外国大公使館地、政府機関、事務管理機能のビル街を形成している。環状線の山手線は、山手の重要な交通機関として多くの乗客を運び、新宿、池袋、渋谷は郊外私鉄のターミナルとして副都心とよばれる繁華街を形成している。サラリーマンなどが多く住み、東京人として、下町の江戸っ子気風と違った雰囲気をもっている。
[沢田 清]
岡山県南部、都窪郡(つくぼぐん)にあった旧村名(山手村(そん))。現在は総社市(そうじゃし)の南東部を占める地域。旧山手村は、2005年(平成17)清音(きよね)村とともに総社市と合併した。倉敷(くらしき)市の北に接し、国道429号が通じる。かつて山方(やまかた)とよばれた地方で、岡山平野の中の丘陵福山(302メートル)の北麓(ろく)にあたる。旧山陽道が通じ、福山山頂には南北朝時代の福山城跡(国の史跡)がある。古墳も多く、吉備路風土記(きびじふどき)の丘県立自然公園の一部を占め、吉備考古館や観光拠点施設の吉備路もてなしの館がある。水田地域であるが園芸農業も盛んで、セロリ、モモ、キュウリ、メロン、ブドウなどを産出する。
[由比浜省吾]
『『山手村史』全2巻(2003、2004・山手村)』
都市が台地と低地にまたがって成立する場合,低地の下町(したまち)に対して台地部を〈山の方〉という意味で山手という。東京では〈やまのて〉,横浜や神戸では〈やまて〉という。東京の山手は武蔵野台地東端にあたる山手台地(本郷台,淀橋台)を指すが,その西限は1885年の日本鉄道赤羽~新宿~品川間(現,JR山手線,埼京線の一部)が開通して,その路線の内側が目安となった。山手台地は標高20~35m,低地部との比高は大部分が10~20mで,主として神田川水系と古川水系の谷が樹枝状の谷を刻んでいる。
すでに井原西鶴の《好色一代男》(1682)に,吉原の太夫よし田を寵愛した〈山の手のさるお方〉とあり,山手のほとんどは大名や旗本の武家屋敷と寺社で占められ,町家は少なかった。〈当世はやり言葉といふ,御旗本山の手筋より出る也〉(《紫のひともと》1683)といわれるように,通人もあらわれた。また下町の庶民にとっては,〈いっそ飛鳥山へ花見に行,山の手者の女を見よふ〉(洒落本《風流仙婦伝》1780)とうつる存在であった。明治初期の山手は,武家屋敷の荒廃で一時期桑畑や茶畑と化したが,中期以後,〈貴顕紳士の邸宅〉(《日本名勝地誌》)が立ち並ぶようになった。その後大正年代まで続く山手の宅地化は,関東大震災と第2次大戦の戦災を契機にその範囲を広げ,やがて目黒,渋谷,中野,杉並,世田谷も〈山手〉と呼ばれるようになった。
→下町
執筆者:小木 新造
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…広義には都市の低いほうにある町をいうことばで,高台を指す山手の対語である。東京(江戸)では京橋,日本橋から神田,下谷,浅草方面に町家が多く,人口の密集した地域が低地にあったことから,狭義にはこの地域を指す。…
… 廃藩置県後,政府や東京府は旧諸藩邸を接収して官・軍用地にあて,また富国強兵・殖産興業の方針のもとで官営工場を設立するとともに,陸・海軍省所管の軍事工場や軍事施設も設置していった。他方,近代都市をめざして鉄道網も整備され,83年には現東北本線の一部が開業して上野が東北方面への玄関となり,85年には東海道本線との連絡を目的として現山手線の一部が開業,1925年に環状運転されるようになった。市街地改造論や築港問題も政府や東京府関係者の間で検討され,そうした動きは,1888年以降の東京市区改正事業として,道路(鉄道馬車の普及に伴う道路の舗装と拡張),水道(木管水道から鉄管水道への改良)の整備に結びついた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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