中箱田村(読み)なかはこだむら

日本歴史地名大系 「中箱田村」の解説

中箱田村
なかはこだむら

[現在地名]北橘村箱田

赤城山南西麓に位置し、なだらかな西傾斜の山麓原を西流する橘川(赤見川)木曾きそ(間之沢川)およびその支流によって形成された舌状台地と輻射谷の上に広がる村。東は上箱田かみはこだ村、西は下箱田村。延宝七年(一六七九)箱田村より分村独立したと伝え、元禄郷帳・天保郷帳には一村として高付されているが、村役人は兼帯、諸帳簿も村名を併記して一村として進退している。両村農民の所有地も複雑に入組んで境界も明らかでない(→箱田村。元禄二年(一六八九)の中箱田村検地帳(箱田区有文書)によると高一〇九石余、反別田八町余・畑六町余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android