中臣鎌子(読み)ナカトミノカマコ

デジタル大辞泉 「中臣鎌子」の意味・読み・例文・類語

なかとみ‐の‐かまこ【中臣鎌子】

藤原鎌足ふじわらのかまたり初名

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「中臣鎌子」の解説

中臣鎌子

生年生没年不詳
6世紀中ごろの重臣。勝海と同じく『中臣氏延喜本系帳』に記載がない。『尊卑分脈』には天児屋根尊(天児屋命)の15世孫,真人大連の子に鎌大夫の名がみえるが,年代的にやや合わないところがある。欽明13(552)年百済の聖明王が仏像,経典などを献上したとき,蘇我稲目がその受容を主張したのに対して,物部尾輿と共に反対した。欽明天皇は試みに稲目に個人的な崇拝を許可したが,その後疫病が流行したことによって,尾輿と仏像の破棄を進言した。これを欽明が受け入れて仏像は難波堀江に流され,伽藍も焼かれたが,たちまち天に風雲なく,大殿に火災が生じたという。

(佐藤長門)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中臣鎌子」の解説

中臣鎌子 なかとみの-かまこ

?-? 6世紀中ごろの官吏
日本書紀」によると,欽明(きんめい)天皇13年(552)百済(くだら)(朝鮮)から仏教が伝来したとき,蘇我稲目(そがの-いなめ)が仏教受容をとなえたのに対し,物部尾輿(もののべの-おこし)とともに国つ神の怒りをまねくとして反対した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「中臣鎌子」の意味・わかりやすい解説

中臣鎌子 (なかとみのかまこ)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「中臣鎌子」の意味・わかりやすい解説

中臣鎌子【なかとみのかまこ】

藤原鎌足

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中臣鎌子」の意味・わかりやすい解説

中臣鎌子
なかとみのかまこ

藤原鎌足」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中臣鎌子の言及

【大化改新】より

…すなわち推古天皇の死後,大臣蘇我蝦夷(そがのえみし)は反対派を制圧して舒明天皇を立てたものの,舒明死後には問題が再燃し,しばらく舒明皇后の皇極天皇が立てられている間に,蝦夷の子入鹿(いるか)は643年(皇極2),聖徳太子の子で皇位継承の有力な候補だった山背大兄(やましろのおおえ)王を急襲して自殺させ,朝廷内部の緊張はいちだんと高まった。
[経過]
 舒明と皇極の間に生まれた中大兄(なかのおおえ)皇子(後の天智天皇)は,同志の中臣鎌子(なかとみのかまこ)(後の藤原鎌足)らとはかり,645年6月,宮中で入鹿を暗殺し,自邸に蝦夷を包囲して自殺させると,翌日には皇極の弟の孝徳天皇を立て,じぶんは皇太子として実権を掌握し,阿倍倉梯内麻呂(あべのくらはしのうちのまろ)を左大臣,蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)を右大臣,中臣鎌子を内臣(ないしん),唐に留学した旻(みん)(新漢人(いまきのあやひと)旻)や高向玄理(たかむくのくろまろ)を国博士(くにはかせ)として新政権を樹立,年号を制定して大化とした(乙巳(いつし)の変)。この新しい朝廷は翌7月,唐に抵抗している高句麗には友好関係の維持を,任那の旧領を新羅から奪った百済には任那の調をも要求するなど,朝鮮諸国に対する外交方針を明らかにした。…

【中臣氏】より

…日本古代の豪族。大和朝廷では祭祀を担当し姓(かばね)は連(むらじ)。大化改新後に藤原氏を分出,八色(やくさ)の姓の制度で朝臣を賜姓。奈良後期から嫡流は大中臣(おおなかとみ)氏。中世以後は岩出(いわで),藤波(ふじなみ)などと称する。中臣とは,《中臣氏系図》の〈延喜本系〉に奈良後期の本系帳を引用し〈高天原に初めて,皇神(すめかみ)の御中(みなか),皇御孫(すめみま)の御中執り持ちて,いかし桙(ほこ)傾けず,本末(もとすえ)なからふる人,これを中臣と称へり〉とか,《台記別記》の〈中臣寿詞(なかとみのよごと)〉に〈本末傾けず茂槍(いかしほこ)の中執り持ちて仕へ奉る中臣〉とか,《大織冠伝》に〈世々天地の祭を掌り,人神の間を相和す。…

【藤原鎌足】より

…大化改新の功臣で藤原氏の始祖。もと中臣連(なかとみのむらじ)鎌足。父は弥気(みけ)(御食子(みけこ),御食足(みけたり)とも)といい,推古・舒明朝に仕えた神官で,地位は大臣(おおおみ),大連(おおむらじ)に次ぐ大夫(まえつぎみ)。母もやはり大夫の大伴連囓(おおとものむらじくい)(咋子(くいこ)とも)の娘で智仙娘(ちせんじよう∥ちいさこ)といい,大連の大伴金村(かなむら)の孫。生まれたのは推古天皇の朝廷のあった小墾田(おはりだ)宮に近い藤原。…

※「中臣鎌子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android