日本歴史地名大系 「中角館跡」の解説 中角館跡なかつのやかたあと 福井県:福井市旧吉田郡地区中角村中角館跡[現在地名]福井市中角町 多知中角の東北、字多知(たち)にあり、明治初年の地籍図によれば、南北七二メートル、東西三六メートルの区画が畑地として残り、その周囲に約九メートル幅の水田が環濠跡として残る。「越前国城蹟考」に朝倉氏の家臣乙部勘解由左衛門の屋敷跡として「中角村際申酉方畑之中四十間ニ二十間計之所堀形有」と記される。乙部勘解由左衛門の名は貞治三年(一三六四)一〇月二七日付の八坂神社文書にみえ、この時斯波義将の守護使であった。乙部氏は初め斯波氏の根本被官であったが、その後朝倉氏の被官に転身。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by