(河村昭一)
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南北朝・室町初期の武将。斯波高経の四男。官途治部大輔・左衛門佐・右衛門督,道号玉堂,法号道将,別号雪渓。1362年(正平17・貞治1)13歳で幕府執事となり,父高経の後見により将軍足利義詮を補佐し,また越中守護となった。66年政変により高経とともに越前に退き,翌年高経の病没により赦免されて越中守護に復した。79年(天授5・康暦1)管領細川頼之排斥の中心となり,将軍義満から管領に任ぜられ,畠山基国と分国を交換して越前守護となった。この義将の管領就任を機として,幕府政所の権限強化,洛中の屋地をつかさどる地方(じかた)の設置などが行われ,また五山以下の禅宗の支配が従来の直接統制から,春屋妙葩(みようは)を僧禄に任じこれを通じて行う間接統制に変化したが,これらは管領義将の補佐によるものとみられる。義将は91年(元中8・明徳2)いったん管領を辞し,翌々年再任して98年(応永5)まで在任し,その後も嫡子義教(義重),嫡孫義淳を後見し,幕府第一の宿老として義満・義持に仕えた。1408年義満が没すると朝廷が太上天皇の追号を贈ろうとしたのを義持に辞退させたことなど,穏当な意見で幕府政治の安定に寄与した。また晩年,斯波氏の分国は越前,尾張,遠江3ヵ国となり,斯波氏がこの3ヵ国の守護を世襲する基も定まった。平素禅宗をあつく信じ,歌道・古典などをたしなんだ。ただし彼が著したとされる子弟教訓書《竹馬抄》は,義将に仮託されたものとみられる。
執筆者:小川 信
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南北朝~室町初期の管領(かんれい)。名前の訓は正しくは「よしゆき」。治部大輔(じぶのたいふ)、左衛門佐(さえもんのすけ)、右衛門督(うえもんのかみ)。法号道将(どうしょう)、別号雪渓(せっけい)。高経(たかつね)の四男。1362年(正平17・貞治1)13歳で父高経の後見により幕府執事(しつじ)となり、また越中(えっちゅう)守護となる。66年高経とともに越前(えちぜん)に逃れ、翌年高経の病没により許されて越中守護に復し、桃井(もものい)氏追討に功あり、79年(天授5・康暦1)管領細川頼之(ほそかわよりゆき)排斥の中心となり、かわって将軍義満(よしみつ)から管領に任ぜられ、越前守護に移る。義満を助けて、洛中(らくちゅう)支配の充実、僧禄(そうろく)の任命による禅宗統制の間接化などを実施した。91年(元中8・明徳2)管領を辞したが翌々年再任、98年(応永5)まで在任。その後も管領となった子義教(よしのり)(初め義重(よししげ))を後見し、1409年(応永16)短期間ながら三たび管領となる。謹厳な性格で、幕府第一の宿老としてしばしば穏当な意見を述べ、幕府政治の安定に貢献した。義満の没後朝廷が義満に贈ろうとした太上(だいじょう)天皇の追号を、義持(よしもち)に辞退させたことなどが知られる。また斯波氏が越前、尾張(おわり)、遠江(とおとうみ)3国の守護となる基を開いた。禅宗に帰依(きえ)し、歌道、古典に精進して教養を積んだ。ただし子弟教訓書『竹馬抄(ちくばしょう)』は義将に仮託したものとみられる。応永(おうえい)17年5月7日没。
[小川 信]
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1350~1410.5.7
「よしまさ」とも。南北朝期~室町中期の武将。高経の四男。治部大輔・左衛門佐・右衛門督。勘解由小路(かでのこうじ)殿と称される。法名道将。1362年(貞治元・正平17)父の後見で幕府執事となり,越中国守護を兼任。66年,父と越前へ退去したが,翌年ゆるされて上洛,越中国守護に復帰。79年(康暦元・天授5)管領細川頼之を排し,かわって管領に就任。まもなく畠山基国(もとくに)と越中・越前の守護職を交換した。明徳の乱後管領を辞任するが,のち再任。その後も嫡子義教・嫡孫義淳(よしあつ)を後見して将軍足利義持を補佐し,3代義満への太上法皇号追贈を辞退させた。1409年(応永16)にも外交上の理由から2カ月間管領を勤める。翌年病没。
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…1379年(天授5∥康暦1)室町幕府の管領細川頼之が追放された政変。頼之は若年の将軍足利義満をたすけて10余年間幕政を主導したが,斯波義将以下諸大名の多くは頼之に対する反感を強め,1378年(天授4∥永和4)頼之の養子頼元を主将とする紀伊・和泉南朝軍の追討も失敗した。義満は反細川派の山名義理・氏清兄弟を紀伊・和泉守護として南軍を討たせ,ついで79年2月同じく反細川派の斯波義将,土岐頼康に大和の乱の鎮定を命じた。…
…その曾孫高経(たかつね)(斯波高経)は足利尊氏に従い新田義貞を討って越前,若狭などの守護となる。高経の子義将(よしまさ)(斯波義将)は幕府の重鎮として前後3回管領を務め,細川頼之とともに義満を助けて幕府の基礎を確立した。また尾張,遠江,信濃,若狭,越前,越中,能登,佐渡の8ヵ国の守護を歴任し,斯波氏の最盛期を創出した。…
※「斯波義将」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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