朝日日本歴史人物事典 「中野梧一」の解説
中野梧一
生年:天保13.1.8(1842.2.17)
明治前期の地方官,実業家。幕臣時代の名は斎藤辰吉。維新後改名。御細工頭,郡代掛代官斎藤嘉兵衛の子として江戸に出生。父の隠居後外国奉行支配調役などを歴任。戊辰戦争に参加,五稜郭などで官軍と戦う。維新後新政府に出仕,明治4(1871)年井上馨 の推挙により初代山口県参事となる(このことは後年第6回帝国議会において井上が山口県在任時代の中野と結託して汚職を行ったとの追及を受ける背景となった)。8年退官後は大阪商法会議所副会頭(在任中に藤田組贋札事件に連座),関西貿易商会発起人となるなど実業界で活躍するも,原因不明の自殺を遂げた。
(村瀬信一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報