日本大百科全書(ニッポニカ) 「コワレフスカヤ」の意味・わかりやすい解説
コワレフスカヤ
こわれふすかや
Софья Васильевна Ковалевская/Sof'ya Vasil'evna Kovalevskaya
(1850―1891)
ロシアの数学者。モスクワの生まれ。少女時代から数学に興味をもち、外国での勉強を望んだが、未婚のままで国外へ出ることを父に拒まれた。そこで18歳のとき、海外留学予定者コワレフスキーVladimir Onufrievich Kovalevski(1842―1883)と名義だけの結婚をして、ドイツのハイデルベルクへ行き、以後、二人は別行動をとった。数学者ケーニクスベルゲルLeo Königsberger(1837―1921)に師事したのち、1870年からワイアシュトラースにアーベル関数に関する個人指導を受けた。コワレフスカヤの進歩は著しく、充実した研究生活を送った。この間の業績のうちでもっとも有名なのは偏微分方程式の研究で、これに対して1874年秋ゲッティンゲン大学から学位を授与された。
1876年、父の死去を機に変則的な結婚から正式の結婚へ転じたが、ほどなく別居生活を始め、1883年3月、夫の自殺を契機に、ストックホルム大学長の招きを受けてこの大学の講師となった。当時は女性の聴講すら許されない状況であり、彼女や学長への非難は激しかったが、1888年パリ科学アカデミーが彼女にボルダン賞を授与したことにより、世間の評判もよくなった。まもなく教授になり、1891年2月に教授として初講義をしたが、数日後に、かぜがもとで他界した。
[小堀 憲]
『野上弥生子訳『ソーニャ・コヴァレフスカヤ(自伝と追想)』(岩波文庫)』