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五稜郭 ごりょうかく

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

五稜郭
ごりょうかく

北海道函館市北郊の五稜郭町にある城址。江戸時代末期,蘭学者武田斐三郎オランダの築城書を参考にして設計し,箱館奉行所が安政4 (1857) 年着工,7年かかって元治1 (64) 年に完成した洋風平城。

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デジタル大辞泉の解説

ごりょう‐かく〔‐クワク〕【五稜郭】

北海道函館市にある城跡。最初の西洋式城郭で、江戸幕府の箱館奉行所として安政4年(1857)から元治元年(1864)にかけて築造。その外形が星のような五稜形をしているところからの名。明治2年(1869)戊辰(ぼしん)戦争の際、旧幕臣榎本武揚(えのもとたけあき)らがたてこもって官軍と戦った。→箱館戦争

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百科事典マイペディアの解説

五稜郭【ごりょうかく】

北海道函館市にあった洋式城郭(特別史跡)。箱館(函館)奉行が企画,蘭学者武田斐三郎(あやさぶろう)が設計,1864年完成。江戸時代最後の築城で,塁濠は星形を成す。
→関連項目亀田函館[市]土方歳三

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世界大百科事典 第2版の解説

ごりょうかく【五稜郭】

北海道函館市にある城址。江戸幕府が蝦夷地(えぞち)支配と北辺防備のために,箱館奉行所として計画した日本最初の洋式城郭。伊予大洲藩出身の蘭学者,諸術調所教授武田斐三郎(あやさぶろう)がフランス築城書のオランダ語訳本を参考にフランス軍人の指導のもとで設計,1857年(安政4)着工,64年(元治1)に竣工した。その築城法は,大砲の発達に伴って16世紀以降フランスを中心にヨーロッパで流行したもので,平地に星形に濠を掘り,その土で土塁を築き,五つの突角部(稜堡)に砲座を置く。

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大辞林 第三版の解説

ごりょうかく【五稜郭】

北海道函館市にある洋式城郭趾。1864年江戸幕府が箱館奉行所として築いた、平面が星形の平城。箱館戦争で榎本武揚らがたてこもり、維新政府と交戦。72年(明治5)廃城。堀・石垣・土塁が残る。

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日本の城がわかる事典の解説

ごりょうかく【五稜郭】

江戸時代末期の1857年(安政4)、幕府により箱館の防衛のため、北海道函館市に建設された洋式城郭。国の特別史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。北海道遺産(五稜郭と箱館戦争の遺構)にも選定されている。城郭は5つの稜堡を持つ星形をしており、その外周は約1.8km。25万m2の広さを持つ。蘭学者の武田斐三郎(あやさぶろう)が設計し、8年の歳月をかけて建設された。当時、城内には箱館奉行所や砲台が置かれていた。1868年(明治1)、新政府への帰順を拒否した榎本武揚(えのもとたけあき)は、旧幕府軍を率いて蝦夷地に渡り、10月26日に五稜郭を無血占領。ここを拠点として新政府軍と戦ったが(箱館戦争)、翌年5月に新政府軍に降伏した。この戦争で城内の施設・建物は大きな損傷を受け、その後撤去された。現在は公園として整備され、桜の名所になっている。函館市電の五稜郭公園前駅で下車後、徒歩約15分。◇正式名称は「亀田役所土塁」で、一般に広く流布している「五稜郭」は通称である。柳野城ともいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

五稜郭
ごりょうかく

函館(はこだて)市五稜郭町に現存するわが国最大・最初の西洋式稜堡(りょうほ)式城跡。正式名は亀田(かめだ)役所土塁というが、V字形の堡頭(ほとう)をもった五稜星形築城なので五稜郭と通称されている。幕府は神奈川条約による箱館(はこだて)開港と、ロシアの南下政策などに対応するため、1854年(安政1)6月、箱館奉行(ぶぎょう)を配置、奉行所として亀田役所土塁、弁天岬台場などの築造を計画した。五稜郭は1857年(安政4)に着工、64年(元治1)に竣工(しゅんこう)した。設計と監督は伊予(いよ)大洲(おおず)藩(愛媛県大洲市)出身の武田斐三郎成章(あやさぶろうなるあき)で、西洋の築城書をもとに築城したといわれる。星形の稜堡式築城は、郭内からの射撃に死角がないことが特長で、同じく幕末に築造された長野県南佐久郡の竜岡(たつおか)城も同型のものである。五稜郭は郭内約25万1400平方メートル、郭高約5メートル、南西の追手門(おうてもん)外に馬出(うまだし)として三角土塁があり、郭には濠(ほり)が巡らされ、濠外の東西南三方には、さらに土塁が設けられている。郭内には木造瓦葺(かわらぶ)き望楼付き900坪の本庁舎など、30余棟の建物が並んでいた。
 1868年(慶応4)4月、新政府は箱館裁判所を設置し、総督に清水谷公考(しみずだにきんなる)を任命した。その後、箱館戦争終了の69年(明治2)5月まで、五稜郭は榎本武揚(えのもとたけあき)の率いる旧幕府軍に占拠され、その本拠となった。戦争の結果、本庁舎に付属する望楼が一部破壊された。本庁舎は戦争後の71年に解体された。73年、五稜郭は陸軍省に移管されたが、1914年(大正3)公園として開放、サクラの名所となった。22年国の史跡、52年(昭和27)特別史跡に指定された。現在、市立博物館分館があり、復原された兵糧庫が一般公開されている。[船津 功]

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