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中院通秀 なかのいん みちひで

美術人名辞典の解説

中院通秀

通淳の男。内大臣従一位。明応3年(1494)歿、67才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中院通秀 なかのいん-みちひで

1428-1494 室町時代の公卿(くぎょう)。
正長(しょうちょう)元年生まれ。中院通淳(みちあつ)の子。宝徳2年参議となり,権(ごんの)中納言,権大納言をへて,文明17年内大臣にすすんだ。従一位。のち出家した。明応3年6月22日死去。67歳。初名は通時。法名は十輪院済川妙益。日記に「十輪院入道内府(だいふ)記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

中院通秀

没年:明応3.6.22(1494.7.24)
生年:正長1(1428)
室町中期の公卿。父は准大臣中院通淳,母は中院通敏の娘。初名通時。連歌師牡丹花肖柏は異母弟に当たる。永享10(1438)年叙爵寛正3(1462)年権大納言。文明13(1481)年従一位に昇叙ののち官を辞す。同17年病気危急に際し,かねて念願であった内大臣の宣下を受け,直後退任。長享2(1488)年に出家。法名妙益。十輪院済川 と号す。文明9年から長享2年,通秀50歳から61歳までの自筆の日記『十輪院内府記』(『史料纂集』所収)が残っており,足利義政,義尚時代の公家,武家の動静や世情が知られる貴重な史料とされる。和漢の学に通じ,公家,武家の間で,その博識は大いに尊重された。日記の中にも和漢の書物に関する記述が多く,洞院公賢の日記『園太暦』を子孫の洞院公数から譲り受け,愛蔵したことや,文明15年に将軍義尚が和歌の『打聞集』の編纂を企画した際,選者に加えられ,かなり多数の歌書を調査したことなど,文化史的な面からも興味深い記事がある。

(相馬万里子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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