室町後期の武将。嘉吉(かきつ)3年扇谷上杉持朝(おうぎがやつうえすぎもちとも)の三男として生まれる。1473年(文明5)甥(おい)の政真(まさざね)が武蔵(むさし)の五十子(いかつこ)(埼玉県本庄(ほんじょう)市)で古河公方(こがくぼう)足利成氏(あしかがしげうじ)と戦って敗死すると、政真の家臣に迎えられて扇谷上杉家を継ぎ、家宰太田道灌(どうかん)らの力によってその家名を高めた。しかし、のちに道灌を相模糟屋(さがみかすや)の館(やかた)(神奈川県伊勢原(いせはら)市)で謀殺したため多くの家臣を失う。長尾景春(ながおかげはる)の反乱に対しては山内上杉顕定(やまのうちうえすぎあきさだ)を助けて戦ったが、のちに顕定と対立し、かつての敵古河公方や景春と結び、また伊勢宗瑞(いせそうずい)(北条早雲(そううん))とも組んで顕定と戦う。明応(めいおう)3年武蔵の高見原で顕定と対陣した際、落馬が原因で10月5日に急死した。法名護国院大通範亨。
[佐脇栄智]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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