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足利義澄 あしかがよしずみ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

足利義澄
あしかがよしずみ

[生]文明12(1480).伊豆,堀越
[没]永正8(1511).8.14. 近江,岡山
室町幕府 11代将軍 (在職 1494~1508) 。政知の子。初め天竜寺香厳院主清晃,還俗して義遐 (よしとお) ,義高,義澄と改名。細川政元に擁立されて将軍となったが,前将軍足利義稙と対立,近江に逃れて永正5 (08) 年将軍職を退いた。

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デジタル大辞泉の解説

あしかが‐よしずみ【足利義澄】

[1480~1511]室町幕府第11代将軍。在職1494~1508。足利政知(まさとも)の子で、義政の養子。細川政元に擁立されて将軍となったが、永正5年(1508)前将軍義稙(よしたね)に将軍職を追われた。

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百科事典マイペディアの解説

足利義澄【あしかがよしずみ】

室町幕府11代将軍。堀越公方足利政知の子。1491年京都天竜寺塔頭(たっちゅう)香厳院の喝食(かっしき)となり,清晃と称した。1493年細川政元クーデタにより将軍足利義稙(よしたね)(義材(よしき))を廃し,清晃を将軍に擁立。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

足利義澄 あしかが-よしずみ

1481*-1511 室町幕府11代将軍。在職1495*-1508。
文明12年12月15日生まれ。足利政知(まさとも)の次男。10代将軍足利義稙(よしたね)が細川政元の反乱により追放されると,還俗(げんぞく)して明応3年将軍となる。永正(えいしょう)4年政元が暗殺され,5年義稙が援軍とともに京都にせまると,近江(おうみ)にのがれた。永正8年8月14日死去。32歳。伊豆(いず)出身。初名は義遐(よしとお),のち義高。法名は清晃。法号は法住院。

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朝日日本歴史人物事典の解説

足利義澄

没年:永正8.8.14(1511.9.6)
生年:文明12.12.15(1481.1.15)
室町幕府第11代将軍。堀越公方足利政知の次男として伊豆に生まれる。母は武者小路隆光の娘。はじめ天竜寺香厳院の喝食として清晃と称したが,明応2(1493)年3月,将軍足利義稙が親裁権の強化を目指して河内出陣を強行したことから細川政元はクーデタによって義稙を廃立(明応の政変),清晃が足利家督に擁立された。直ちに還俗して義遐(義高,義澄)と改名し,翌年末将軍に任官した。しかし義澄は幕政を壟断する政元の傀儡に過ぎず,永正4(1507)年6月に政元が暗殺されると幕政は混乱,翌年義稙の再入洛により近江に逃亡した。3年後,近江九里城で病死。細川氏の専制,つまり戦国大名化により圧迫された悲劇の将軍といえる。

(今谷明)

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世界大百科事典 第2版の解説

あしかがよしずみ【足利義澄】

1480‐1511(文明12‐永正8)
室町幕府11代将軍。院号法住院。堀越公方足利政知の子。伊豆に出生。1491年(延徳3)上洛して天竜寺塔頭(たつちゆう)香厳院の喝食(かつしき)となる。93年(明応2)4月,細川政元のクーデタによって将軍義稙(よしたね)(義材(よしき))が廃立されたとき,将軍跡目に嗣立されて還俗,従五位下に任官し,初め義遐(よしとお)のち義高,義澄と改名した。94年左馬頭,征夷大将軍に就任したが,実権はまったく政元が掌握し,典型的なかいらいであった。

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大辞林 第三版の解説

あしかがよしずみ【足利義澄】

1480~1511) 室町幕府一一代将軍(在職1494~1508)。堀越ほりごえ公方政知まさともの子。義政の養子。細川政元に擁立され将軍となったが、1508年前将軍義稙よしたねにより、将軍職を剝奪はくだつされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

足利義澄
あしかがよしずみ
(1480―1511)

室町幕府第11代将軍。文明(ぶんめい)12年12月15日生まれ。堀越公方(ほりこしくぼう)足利政知(まさとも)の子。元来、将軍位継承の地位になく、初め天竜寺喝食(かつじき)として塔頭(たっちゅう)香厳院に入寺し、清晃(せいこう)と称す。還俗(げんぞく)後、初名義遐(よしとお)、ついで義高(よしたか)、1502年(文亀2)より義澄を名のる。将軍義稙(よしたね)が第二次六角(ろっかく)征伐や河内(かわち)(大阪府)出陣を起こし、管領(かんれい)細川政元(まさもと)と対立したため、1493年(明応2)政元のクーデターにより将軍に擁立された。しかし実権はほとんどなく、細川氏による幕府政治の専制化が進み、義澄の威令は畿内(きない)近国にしか及ばなかった。1508年(永正5)細川氏の内紛と義稙の上洛(じょうらく)により京都を追われ、将軍位を剥奪(はくだつ)された。永正(えいしょう)8年8月14日近江(おうみ)(滋賀県)岡山で死去。[今谷 明]

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