日本歴史地名大系 「丸の内三丁目遺跡」の解説 丸の内三丁目遺跡まるのうちさんちようめいせき 東京都:千代田区旧麹町区地区有楽町二丁目丸の内三丁目遺跡[現在地名]千代田区丸の内(まるのうち)三丁目現在の東京国際フォーラム(都庁跡地)、江戸城外堀の鍛冶橋御門内(かじばしごもんない)に位置する江戸時代の武家屋敷跡。江戸時代以前は日比谷(ひびや)入江付近に相当する場所で、江戸初期に埋立てられた地域である。調査地点には慶長江戸絵図によると、土佐高知藩山内家・豊後佐伯藩毛利家のほか、竹中伊豆・青山五郎八・福島掃部・彦坂小刑部が屋敷を構えていた。その後、元禄一一年(一六九八)までに幾度かの屋敷替えがあり、同年の大火後は北側に高知藩山内(松平土佐守)家、南側に阿波徳島藩蜂須賀(松平阿波守)家が上屋敷を構え幕末に至る(沿革図書など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報