丸倉鉛山跡(読み)まるくらえんざんあと

日本歴史地名大系 「丸倉鉛山跡」の解説

丸倉鉛山跡
まるくらえんざんあと

[現在地名]下田村大谷

大谷おおたにの南部にあったため、最初は大谷鉛山ともよばれた。宝暦九年(一七五九)大坂の銭屋与左衛門により開発願が出され、同一一年水原すいばら(現北蒲原郡水原町)香具師津兵衛を請人として問掘(試掘)が許可された。寛政二年(一七九〇)からは大谷村百姓らによる村請経営となり、同一〇年まで大谷村の八人、栗山くりやま村二人、森町もりまち北五百川きたいもがわ各一人によって稼行された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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