15世紀末から16世紀にかけて生まれた鉱山業者。金山師の略称。山主,山元ともいった。鉱業の練達者で,おもに採鉱経営の請負主にあたる。金子(かなこ),大工,手子,桶(おけ)大工,樋引(といびき),山留,鍛冶などの多くの採鉱労働者を支配し,坑内と選鉱場・精錬場や資材・食糧・製品の仕入れ・運搬の事務をとる勘定場など,鉱山のいっさいを管掌していた。その報酬は直山,請山など鉱山の領有形態によって差があった。その家業は多く世襲されていた。18世紀からは山師は普請の請負師のことともなり,さらに19世紀からは投機的な事業をするもののことから詐欺師のことをいうようにもなった。近代からの株式取引においてこうしたことばが一般に使用された。一方,山林の立木を売買し伐採,運材などの林業労働を支配する材木商人のこともいうようになった。山仕出しであり,多く村内に居住しており,外部の材木商人に対して有利な地位にあった。
執筆者:遠藤 元男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
本項では鉱山経営者としての山師について述べる。山師は、鉱山の経営いっさいを支配統轄した。山師の下には、金子(かなこ)(坑内の掘り場の責任者)、大工(採鉱係)、手子(てこ)(運搬夫、掘り子ともいい、女、子供があたった)、樋大工(排水樋の製作にあたる)、樋引き(排水係)、山留め(支柱係)などがいて鉱山の生産に携わった。
鉱山業は近世になってから大いに発展し、測量・採鉱・選鉱・精錬などの鉱山技術者、熟練労働者の専業化が進んだが、そのなかから指導力、経営力のある者が、山師となって他を率いるようになったのである。徳川家康は、江戸幕府の財政を確立するために鉱山を重視し、「山例(さんれい)五十三箇条」を定めて山師に特権を与えた。そのため鉱山の構内は一種の治外法権が認められ、殺人者が鉱山に逃げ込んでも役人に渡さなくてもよいことになっていた。19世紀初期の鉱山経営技術者である佐藤信淵(のぶひろ)は『坑道法律』のなかで、「……山内のことは山主の心次第なるものなれば、山主たる者は智慮(ちりょ)深く、外貌(がいぼう)は甚だ愚にして、行状は放蕩(ほうとう)に見えて、内心甚だ倹素に厚く施すことを好みて諸勘定極めて高く、勇豪にして甚だ涙軟(もろ)く……」と山師の心得を述べている。
[黒岩俊郎]
山仕・山主・山元とも。鉱山の経営者。探鉱・測量・採掘・排水などの技術・労働者を抱え,領主に対して採掘を請け負う。16世紀の石見銀山の銀山衆が起源。はじめて鉱山を見立てた山師を山先(やまさき)という。江戸初期の金銀山の大繁栄期には多数の山師が集まって次々と間歩(まぶ)を開坑し,運上山では入札によって稼行者が決定された。佐渡の味方但馬は受領(ずりょう)名をもち各地の鉱山の経営にたずさわった有力者だが,当時珍しい例ではない。小規模な金銀山や17世紀中期以降の銅山では,個人ときには共同で一山の経営全体を長期にわたって請け負い,採鉱・製錬・資材調達など全体を管理した。別子(べっし)銅山の泉屋住友家はその代表例。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…39年アメリカに移住し東洋哲学に興味を持つとともに,第2次大戦後は南米旅行記《コンドルと牝牛》(1949),小説《夕暮れの世界》(1954)などを発表している。しかし彼の最もすぐれた仕事は,カメラアイという映画的手法でヒトラー政権直前のベルリンを描いた《山師》(1935),六つの短編小説の連作から成る《ベルリンよさらば》(1939)で,特に映画《嵐の中の青春》をはじめ,何度か映画化・劇化されている。【鈴木 建三】。…
※「山師」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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