日本歴史地名大系 「大谷村」の解説
大谷村
おおたにむら
- 石川県:珠洲市
- 大谷村
中世は若山庄の内で、建暦二年(一二一二)二月に「若山御庄大谷住平兼基」が願主となり大般若経を書写している(輪島市八幡寺蔵)。これより先、文治元年(一一八五)能登国に流罪となった平時忠の配所であったと伝承されている(能登名跡志)。現在則貞にある五輪塔群は時忠およびその一族の墓と伝えられ、平時忠卿およびその一族の墳として県指定史跡。
大谷村
おおやむら
慶長一四年(一六〇九)一二月の彦坂光正駿府浅間社領所付写(旧新宮神主文書)に「大屋村」は高七四石余とみえる。元和六年(一六二〇)有渡郡内一六ヵ村が東照宮領三千石とされ(「徳川秀忠社領寄進判物」久能山東照宮文書)、そのうち年中行事料・修理料・学頭領・社僧八人領・禰宜役人領計一千二〇〇石が大谷・宮川・片山三ヵ村に配当された(正保三年「徳川家光社領寄進判物」同文書)。元禄郷帳では高八八七石余。国立史料館本元禄郷帳では東照宮領・浅間社領・大正寺領。元禄一二年(一六九九)当村のうち東照宮領では、東大谷組・西大谷組の納米二五一石余(七一七俵余・口米一九俵余)、大谷浜組の納米四四石余(一二八俵余・口米三俵余)で(桜井家文書)、三組に分れていたことが知られる。
大谷村
おおたにむら
- 鳥取県:倉吉市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
拝領高は九〇五石余、本免は四ツ八分。天保三年(一八三二)の山林は二五町三反余で、山役米九石余・海役米四石余・川役米一石余を課されていた(藩史)。
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 徳島県:鳴門市
- 大谷村
大谷村
おおやむら
とあり、貞和五年(一三四九)一〇月銘の
江戸時代は旗本領で、元禄郷帳の村高は六九五石余。幕末は旗本小笠原氏領一〇二石余、水野氏領二〇三石余、天野氏領三八九石余(各村旧高簿)。漁業も行われ、元禄一六年(一七〇三)九月一六日の霞ケ浦四十八津返答口上書(舟串家文書)に「小津大谷次衛門」とみえ、享保一一年(一七二六)一一月の霞ケ浦浦方議定書(同文書)に村名がある。
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 福井県:小浜市
- 大谷村
当村は賀茂別雷社の「日供用途厳重之神領」(天福二年六月一八日付「延暦寺政所下文」鳥居大路文書)であったが、宮川保新保地頭代は「於大谷村事者、自前地頭時所進止也、至矢代浦者、自関東給七ケ所浦其一也」(文暦二年七月一八日付「六波羅御教書案」座田文書)として山畠地子・日次御供魚介などを押領している。
大谷村
おおたにむら
「三代実録」貞観一二年(八七〇)三月五日条などにみえる「大谷神」の鎮座地で、
大谷村
おおやむら
大谷村
おおやむら
引佐郡に所属。北東端の
大谷村
おおやむら
- 東京都:八王子市
- 大谷村
大谷の
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 奈良県:大和高田市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
- 高知県:須崎市
- 大谷村
村内
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 静岡県:袋井市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 埼玉県:深谷市
- 大谷村
大屋とも記す。
大谷村
おおやむら
大谷村
おおやむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 島根県:益田市
- 大谷村
益田川中流域に
大谷村
おおだにむら
大谷村
おおだにむら
大谷村
おおたにむら
- 和歌山県:海南市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやつむら
大谷村
おおだにむら
- 鳥取県:米子市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 愛知県:常滑市
- 大谷村
北・東・南の三方から迫る丘陵の狭間に田畑が展開し、海岸に沿って南北に走る
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 埼玉県:東松山市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 山口県:岩国市
- 大谷村
寛永二〇年(一六四三)に
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 東京都:町田市
- 大谷村
大谷村
おおやつむら
大谷村
おおやむら
大谷村
おおたにむら
- 新潟県:加茂市
- 大谷村
加茂川上流右岸にあり、支流大谷川に沿って上流へ下大谷・上大谷の集落が続き、大谷川支流
大谷村
おおたにむら
正保郷帳に「大谷村」とみえ、田方三二石余・畠方二一石余。貞享三年(一六八六)三月二六日付大谷村高田畠之覚写(越知神社文書)によると田方三町九反余・畠方四町六反余。
大谷村
おおやむら
大谷村
おおたにむら
久木集落の南東、
天正一五年(一五八七)の北川之村地検帳は大谷村久木名として二一筆四反三七代三歩、うち切畑三〇代、トヽロノ村久木名として四筆二反二一代、うち切畑四〇代を記す。屋敷は大谷が五筆、轟が二筆、切畑作物として芋・蕎麦・稗が記される。江戸時代の本田高は元禄郷帳に一〇・二三三石とあり、寛保郷帳によれば戸数一〇、人数五四、牛五、猟銃四。
大谷村
おおやむら
- 埼玉県:大宮市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおだにむら
- 鳥取県:米子市
- 大谷村
大谷村
おおやむら
- 愛知県:岡崎市
- 大谷村
村域南端を
大谷村
おおやむら
- 埼玉県:岩槻市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 徳島県:阿南市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
大谷村
おおだにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 三重県:上野市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 福岡県:行橋市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 群馬県:安中市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 静岡県:天竜市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
- 青森県:青森市
- 大谷村
東は
貞享四年(一六八七)の検地帳によれば、村高二六・五三二石、うち田方一二・一八七石、畑方一四・三四五石とある。元禄三年(一六九〇)には油川組に属し、村位は下である(平山日記)。
大谷村
おおだにむら
大谷村
おおたにむら
- 新潟県:五泉市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおだにむら
大谷村
おおたにむら
- 兵庫県:豊岡市
- 大谷村
大谷村
おおだにむら
大谷村
おおがいむら
- 福島県:原町市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおやむら
- 茨城県:下館市
- 大谷村
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
大谷村
おおたにむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報