日本歴史地名大系 「久保平賀村」の解説 久保平賀村くぼひらがむら 千葉県:松戸市久保平賀村[現在地名]松戸市久保平賀・小金(こがね)きよしヶ丘(おか)一―五丁目・小金原(こがねはら)一丁目・同四丁目東平賀村の南、下総台地の西端部に位置する。「本土寺過去帳」七日の応永二二年(一四一五)九月の年紀がみえる妙祐には「南クホ」と注記があり、これは当地のことと思われる。同過去帳にはほかにも「クホ」と注記される結縁者が散見し、二一日の妙了(命禄二年、天文一〇年正月)には「クホ平賀」などとある。なお某年六月二一日に鈴木帯刀・民部少輔は小金行人台(こがねぎようにんだい)で討死しているが(同過去帳)、同所は現久保平賀地内の小字として残る。慶安年間(一六四八―五二)頃の成立といわれる高城胤忠旧知行高付帳には「久保平ケ村高弐百石」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by