下総台地(読み)シモウサダイチ

デジタル大辞泉 「下総台地」の意味・読み・例文・類語

しもうさ‐だいち〔しもふさ‐〕【下総台地】

千葉県中部から北部にかけて広がる洪積台地標高約30~40メートル。利根川をはさんで北側の常陸ひたち台地と合わせて常総台地とよばれる。台地西部は江戸川をはさんで東京都と接しているため、都市化が進んでいる。台地中央には成田国際空港がある。

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百科事典マイペディア 「下総台地」の意味・わかりやすい解説

下総台地【しもうさだいち】

千葉県北部の洪積台地。常総台地南半部をなし,両総台地ともいう。おもに砂層からなり,表面は厚さ3〜5mの関東ローム層。標高は北部で25〜50m,南部で100m。大部分は明治以後に開拓された畑作地で,旧陸軍用地や牧場も多く,近年は都市化が著しいラッカセイ,野菜を多産する。
→関連項目旭[市]市川[市]市原[市]印西[市]海上[町]小見川[町]柏[市]鎌ヶ谷[市]栗源[町]神崎[町]佐倉[市]佐原[市]山武[町]酒々井[町]芝山[町]下総[町]沼南[町]庄和[町]白井[市]白井[町]大栄[町]多古[町]千葉[県]手賀沼東金[市]東庄[町]富里[市]富里[町]流山[市]習志野[市]成田[市]干潟[町]光[町]船橋[市]房総半島松尾[町]松戸[市]八街[市]八千代[市]山田[町]八日市場[市]横芝[町]四街道[市]両総用水

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改訂新版 世界大百科事典 「下総台地」の意味・わかりやすい解説

下総台地 (しもうさだいち)

関東平野の南東部を占める台地。大部分がかつての下総国の領域にあたるのでこの名があるが,南縁部に上総(かずさ)国が含まれるので両総台地とも呼ばれ,また常陸(ひたち)台地と合わせて常総(じようそう)台地とも呼ばれる。北縁は利根川,西縁は江戸川に囲まれ,南縁は東京湾に臨み,南東は房総丘陵に接し,東縁は九十九里浜低地に接する。洪積世成田層の黄灰色の海成砂層から成り,表層には2~3mの厚さの褐色の関東ローム層が載り,浅海底が隆起して生じた海岸平野に由来する洪積台地である。このためこの台地では砂利が得られない。周辺の低地に対しては比高20~30mの崖で接し,辺縁部は場所によって,細密な崖端浸食谷が発達し丘陵化している。台地面は著しく平たんであるが,標高は房総丘陵に接する南東隅で90~100mと最も高く,東縁部でも50~60mあるが,西半部では20~30m,北西隅では15m程度に低下する。一様に下末吉面と呼ばれる同時代形成の地形面でありながら,南東に高く北西に低い高度分布は,関東造盆地運動(関東平野の中心部に沈降し,周縁部に隆起する地殻運動)の影響のためである。この台地を貫流する河川はないが,栗山川,鹿島川,神崎(こうざき)川など中小の河川は台地面を開析し,支谷が樹枝状に広がる。河谷はいずれも幅広くこう配のゆるい壮年谷で,谷底には古くから谷津田(排水不良な湿田)がつくられ,水田に利用される。

 台地面上は水利に乏しく平地林の多い畑作地であり,ラッカセイなどを栽培してきた。開析谷の出口が利根川のはんらん原堆積物にふさがれて生じた手賀沼,印旛(いんば)沼はこの台地の西半部北側にある。国府台(こうのだい),習志野,下志津原など台地面上の原野を示す地名が多く,近世には佐倉七牧,小金五牧などの幕府の牧場がおかれていた。谷沿いや台地の端の集落は根古谷(ねごや)(現,八街(やちまた)市)など中世起源のものが多いが,台地上では明治以降開拓が進み,豊四季,十余二(とよふた)(ともに現,柏市),八街などは明治初年以降の開拓集落であり,陸軍の演習場であった下志津原などは第2次大戦後の開拓集落である。東京および京葉地域に近い位置にあって粗放利用地の多かった台地面には,千葉ニュータウンなど大規模な住宅団地工業団地が1960年代後半以降次々に建設され,三里塚の御料牧場跡には新東京国際空港成田空港)が78年開港した。空港と都心をつなぐ高速道路や鉄道新線の建設など,都市化へと急速な変化をみせている地域である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下総台地」の意味・わかりやすい解説

下総台地
しもうさだいち

千葉県の中部から北部にかけて広がる台地。その大部分が下総国に入っていて、上総(かずさ)国の一部が含まれる。南東に広がる上総台地とあわせて両総台地(りょうそうだいち)ともいうが、上総・下総両台地の地形面が同一のため、広義の下総台地には上総台地も含まれる。標高約30~40メートルで北に低くなっており、10~20メートルの崖(がけ)をもって利根(とね)川低地へと落ち込み、西は江戸川に面する。台地東端は九十九里平野に接し、九十九里浜の海岸線に並行して30~50メートルの急崖(きゅうがい)が直線状に続く。第四紀更新世(洪積世)に形成された地形で、台地下層に古い粘土層、その上に浅海堆積(たいせき)物の成田層が積もり、最上部に火山灰からなる赤土の関東ローム層が3~6メートルの厚さで堆積している。水が得にくく、近世には点在する古村のほか、小金(こがね)五牧、佐倉七牧などの江戸幕府直轄の野馬の放牧場が置かれていたにすぎないが、士族授産を目的とした明治以後の開拓によって新しい農業集落が発生し、台地中央部の八街(やちまた)、富里(とみさと)などは、経営規模が大きく専業率も高い畑作農業地域をなす。台地西部は江戸川を挟んで東京都と接し、都市化が進行して住宅地や商工業地が拡大しているが、野菜生産を主とした近郊農業地域も混在している。

 都市近郊を除いては粗放的な土地利用が行われており、広い土地が確保できるので成田市に新東京国際空港(現、成田国際空港)が開設(1978)され、また船橋市北部や白井(しろい)市、印西市にかけては千葉ニュータウンの大規模開発が進展(事業期間1969~2014)している。

[山村順次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下総台地」の意味・わかりやすい解説

下総台地
しもうさだいち

千葉県の北半を占める洪積台地。面積 2345km2。台地の最高点は房総半島中部の土気 (千葉市南東部) 付近で標高 96m。北西端の野田平では 15mで,南東から北西に向かってゆるく傾斜。砂を主とする海成層で表面は関東ローム層に覆われ,乾燥性が強い。台地面の大部分は原野,平地林で,樹枝状の浸食谷が入り込み,水田に利用されてきた。中世末から近世にかけて崖端の開発が進み,新田村が成立。平坦な台地面は,小金五牧,佐倉七牧の野馬放牧地として利用され,明治以後は習志野,下志津演習地など一部を軍用地に利用。第2次世界大戦後は麦類,サツマイモ,ラッカセイなどを産し,全国有数の畑作卓越地として知られたが,近年は施設野菜の栽培,酪農が盛ん。巨大な住宅団地や内陸工業地,さらに新東京国際空港 (→成田国際空港 ) が建設されて変貌が著しい。

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