日本歴史地名大系 「久千田村」の解説 久千田村くちたむら 徳島県:阿波郡阿波町久千田村[現在地名]阿波町 久原(ひさはら)・大道南(おおみちみなみ)・新開(しんばり)・大次郎(だいじろう)・大坪(おおつぼ)・庚申原(こうじんばら)・四歩一(しぶいち)・川添(かわぞえ)・北(きた)ノ名(みよう)・山王(さんのう)など勝命(かつみよう)村の西に位置する。南方を吉野川が東流、また西部を同川支流の大久保谷(おおくぼだに)川が南流する。村内を撫養(むや)街道が通る。中世の朽田(くちた)庄の遺称地であり、天正一〇年(一五八二)に落城したと伝える朽田城があるという(城跡記)。天正一九年の新開御蔵検地帳写があったとされる。慶長二年(一五九七)の分限帳に「久千田」「口田村」「久知田之内」などとあり、高二五二石余(別筆で高五七石余も)が牛田掃部助、高一〇〇石余が稲田四郎左衛門、高五三石余が岩田七左衛門、高三三石余が蜂須賀対馬守、高二三石余が倉地弥右衛門、高二〇石余が堀尾平右衛門の知行分。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by