阿波郡(読み)あわぐん

日本歴史地名大系 「阿波郡」の解説

阿波郡
あわぐん

面積:一二一・〇四平方キロ
市場いちば町・阿波あわ

現県域の北部中央東寄りに位置する。南西部に阿波町があり、北東部を市場町が占める。東部は板野いたの土成どなり町、西部は美馬みまわき町、南部は吉野川筋を挟んで西より麻植おえ山川やまかわ町・川島かわしま町・鴨島かもじま町と接し、北部は香川県大川おおかわ白鳥しろとり町と接する。吉野川北岸にあたり、美馬郡境は南部の西長峰にしながみねから北部の妙体みようたい(七八五メートル)にわたる山並が続き、北部は讃岐山脈(阿讃山脈)が連なっている。これを水源とする伊沢谷いさわだに川・大久保谷おおくぼだに川・日開谷ひがいだに川・九頭宇谷くずうだに川などが南流して吉野川に合流するが、郡域には扇状地が発達し、吉野川の浸食による段丘状の高燥な扇央部が広がっている。また吉野川は阿波町伊沢地区の東端で善入寺ぜんにゆうじ川として分流しており、流域一帯は肥沃で広潤な氾濫原を形成している。旧阿波郡域は、少なくとも近世は、東は板野郡(板西郡)、西は美馬郡、南は麻植郡、北は讃岐国大内おおち郡・寒川さんがわ郡と接し、現阿波郡域のほか、板野郡土成町南東部、同郡吉野町西部、麻植郡鴨島町北西部に及ぶ(正保国絵図、天明三年「阿波郡絵図」大塚家蔵)。郡名の異表記は「淡郡」(「日本書紀」神功皇后摂政前紀条)のほかは一貫して阿波である。

〔原始〕

郡域で確認される八四ヵ所の遺跡の大半は段丘上にある。旧石器時代の遺跡は二〇ヵ所で、県内の遺物出土地の半数近くを占めるが、なかでも長峰台地一帯に多くみられる。多くはナイフ形石器などの表面採集や、調査時の包含層からの出土であるが、阿波町の日吉谷ひよしだに遺跡ではナイフ形石器や翼状剥片石核を含む総数三七七点が半径約五メートルのブロックを形成して検出された。標高四〇〇メートルほどにある阿波町とちくぼ遺跡・大久保遺跡は、サヌカイト搬入経路との関連が想定される。縄文時代の遺跡は一一ヵ所あるが、遺物の出土は少ない。段丘上の三ヵ所で有舌尖頭器が出土したほか、市場町の山麓部や長峰台地の発掘調査では中期から晩期にかけての遺物が発見されている。うち市場町の上喜来蛭子かみぎらいえびす中佐古なかさこ遺跡では縄文晩期中葉の土坑が検出されている。弥生時代の集落遺跡は八ヵ所で、長峰台地では中期前葉―中葉の日吉谷遺跡、中期中葉のさくらおか遺跡(I)十善地じゆうぜんじ遺跡、中期後半から後期初頭の西長峰遺跡・赤坂あかさか遺跡(I)・同(III)では住居や墓を含む集落跡が検出され、集落の構造や形態の展開、集落の移動など重要な示唆を与えるものである。ほか上喜来蛭子〜中佐古遺跡や日吉ひよし金清かねきよ遺跡でも弥生時代の遺構が検出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報