久古牧・久古庄(読み)くごのまき・くごのしよう

日本歴史地名大系 「久古牧・久古庄」の解説

久古牧・久古庄
くごのまき・くごのしよう

大山の西麓、現岸本町久古を遺称地とし、東は同町丸山まるやま付近まで、南は現溝口みぞくち町北部の上野うえの周辺を含む一帯に比定される。比定地内には久古原くごはら大原千町おおはらせんちよう岸本原きしもとばらはやしはらなどの草原地が広がっていた。

貞和六年(一三五〇)八月二三日の足利直冬下文(吉川家文書)に「伯耆国久期御牧半分津毛新左衛門尉跡土貢佰伍拾貫文」とみえ、津毛新左衛門尉が領有していた当牧の半分が吉川光経に勲功の賞として宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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