日本大百科全書(ニッポニカ) 「八郷」の意味・わかりやすい解説
八郷
やさと
茨城県中部、新治郡(にいはりぐん)にあった旧町名(八郷町(まち))。現在は石岡市の北西部を占める地域。1955年(昭和30)柿岡(かきおか)町と小幡(おばた)、葦穂(あしほ)、恋瀬(こいせ)、瓦会(かわらえ)、園部(そのべ)、林(はやし)、小桜(こざくら)の7村が合併。八つの郷(さと)の意より新町名を八郷とした。八郷町は2005年(平成17)石岡市に合併。旧町域は筑波(つくば)山塊に囲まれた柿岡(山根(やまね))盆地と、恋瀬川流域低地をもつ。主要地方道石岡下館(しもだて)線が通じる。中世は小田氏一族、のち佐竹氏が支配し、近世は天領、旗本領に分属した。中心地は柿岡で商業町をなすが、産業は農業が主で、クリ、ナシ、ブドウなどの果樹、ブタ・乳牛飼育、養鶏などの畜産、蔬菜(そさい)・花卉(かき)園芸が盛んであり、とくに山麓(さんろく)斜面の冬季温暖地帯は、甘ガキ、ミカンの北限の産地の一つとして有名。気象庁地磁気観測所や、バラ園を主とする茨城県フラワーパークがある。西部は水郷筑波国定公園域。国指定重要文化財の善光寺楼門、国史跡の佐久良東雄(さくらあずまお)旧宅、県指定史跡の山県大弐(やまがただいに)の墓、丸山(まるやま)古墳、県天然記念物の球状花崗(かこう)岩、県無形民俗文化財の排禍(はいか)ばやしなど文化財が多く、自然休養村としての観光休養施設も整っている。
[櫻井明俊]