久志市
くしし
一九四五年(昭和二〇年)から四六年に米軍政府が制定した沖縄島北部の住民収容地区名。大浦崎市ともいう。当時の久志村の久志・豊原・辺野古にあたり、大部分は現在のキャンプ・シュワブ内にあった。四五年四月五日に米軍は辺野古崎に上陸、久志村域を占領して補給基地を設置した。六月下旬、米軍は久志村域を瀬嵩地区と大浦崎地区に分けて収容地区に指定し、大浦崎地区には今帰仁村の謝名以西の住民、本部町の瀬底・崎本部・伊豆味の三字を除く地区の住民、および伊江村の村民のうち慶良間諸島の収容地区収容者を除く六割の住民、合計約四万人を集団で収容した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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