日本歴史地名大系 「瀬嵩市」の解説 瀬嵩市せだけし 沖縄県:沖縄島北部名護市瀬嵩市一九四五年(昭和二〇年)から四六年に米軍政府が制定した沖縄島北部の住民収容地区名。当時の久志(くし)村の久志・豊原(とよはら)・辺野古(へのこ)を除く地域にあたる。四五年四月五日に米軍は辺野古崎に上陸して久志村域を占領、地元住民および沖縄島中南部からの避難民は山中へ避難したが、山中では飢餓とマラリアに脅かされる生活が続いた。七月に米軍の勧告に基づき下山が開始され、地域内の嘉陽(かよう)・安部(あぶ)・汀間(ていま)・瀬嵩(せだけ)・大浦(おおうら)の各集落が収容地区に指定された。久志村域は瀬嵩地区と大浦崎(おおうらざき)地区に分けられ、瀬嵩地区には中心地区として米軍政本部も設置された。両地区には沖縄戦終結に伴い沖縄島南部からの避難民が数多く収容されたため地区内の人口は急増し、八月一日の人口は瀬嵩地区が六千六六九人、全体で二万九千八九九人にのぼった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by