今帰仁村(読み)なちじんむら

日本歴史地名大系 「今帰仁村」の解説

今帰仁村
なちじんむら

[現在地名]今帰仁村今泊いまどまり

現今帰仁村の西端に位置し、西は具志堅ぐしちん(現本部町)、東は親泊いえーどうまい村。北は海に面し、村の東部から親泊村にかけて志慶真しげま川が北流する。今帰仁なちじん間切の同名村で、地内には北山王・北山監守の居城となった今帰仁なきじんグスク(今帰仁城)がある。プルジマ(古島)は南側の丘陵地ハタイ原で、慶長一四年(一六〇九)の薩摩島津氏の琉球侵攻で今帰仁城が焼打ちにあった後、時期ははっきりしないが集落は現在の今帰仁原に移動した。今帰仁ノロ火神祠はハタイ原にそのまま残されている。なおその頃今帰仁城の南側にあった志慶真しじま村も、親泊村の東側に移動しているが、移動の理由は場所が良くないというだけで(向姓具志川家家譜)はっきりしない。

今帰仁村
なきじんそん

面積:三九・八六平方キロ

国頭郡に属し、本部もとぶ半島の北側に位置する。北側は東シナ海に面し、海上に古宇利こうり島が浮ぶ。西は本部もとぶ町、南は名護市、東は運天うんてん水道を挟んで名護市屋我地やがじ島。越地こえち謝名じやな以東はアガーリンシマー(東の島)平敷へしき以西はイリンシマー(西の島)の通称があり、言葉や風習の点で東西の相違がみられる。一九〇八年(明治四一年)の沖縄県及島嶼町村制施行で今帰仁なちじん間切が改称して成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今帰仁村」の意味・わかりやすい解説

今帰仁〔村〕
なきじん

沖縄県沖縄島西部本部半島にある村。村域は乙羽岳(約 275m)などの山地隆起サンゴ礁台地からなる。村名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名による。2000年世界遺産の文化遺産に登録された西部の今帰仁城跡(国指定史跡)は国頭地方の豪族山北王(北山王)の居城跡で,付近は城を中心に発達した。水利に恵まれた国頭地方一の農業地域で,キクスイカサトウキビなどの栽培が盛ん。仲宗根に製糖工場,パイナップル加工場がある。1962年,東端に運天港を築港。1975年には 1万t級岸壁,ターミナルを備えた新港が完成した。港の背後の丘上には「源為朝上陸之地」の碑がある。国の天然記念物「諸志御嶽(しょしうたき)の植物群落」は老樹巨木が茂り,琉球諸島のなかで特異な林相を示す。国道505号線が通る。面積 39.93km2。人口 8894(2020)。

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