20世紀日本人名事典 「久慈直太郎」の解説 久慈 直太郎クジ ナオタロウ 大正・昭和期の産婦人科学者 生年明治14(1881)年12月29日 没年昭和43(1968)年6月26日 出生地神奈川県横浜市金沢区野島町 学歴〔年〕東京帝国大学医科大学〔明治39年〕卒 学位〔年〕医学博士〔大正10年〕 主な受賞名〔年〕保健文化賞,藍綬褒章,勲二等瑞宝章 経歴アメリカ留学後東大医科大学副手、盛岡市岩手病院産婦人科科長、朝鮮総督府医院副医官、大正5年京城医学専門学校教授、12年金沢医科大学教授となり、同大学付属医院院長、日本赤十字社石川県支部産院長、日本赤十字社産院院長を歴任。昭和24年東京女子医科大学学長兼理事長となる。宝生流の能に造詣が深かった。著書に「産婦人科臨床のために」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久慈直太郎」の解説 久慈直太郎 くじ-なおたろう 1881-1968 大正-昭和時代の産婦人科学者。明治14年12月29日生まれ。京城医専教授,日本赤十字社産院院長などをへて昭和24年から東京女子医大学長兼理事長。30年保健文化賞をうけた。昭和43年6月26日死去。86歳。岩手県出身。東京帝大卒。著作に「図解産婦人科手術学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by