久慈通
くじどおり
九戸郡の東部に設定された八戸藩の行政区域で、大川目村八日町の久慈通代官所の管轄下にあった。寛文五年(一六六五)に八戸藩領が確定した際に盛岡藩での通を踏襲したものであろう。八戸藩では同一一年に六代官の管轄区域が定められているが(八戸藩史料)、久慈代官はこれより早く八戸藩創設以前から置かれており、「雑書」正保元年(一六四四)の記事にすでに久慈代官の名がみえる。また同書慶安三年(一六五〇)二月二三日条には「久慈御蔵御勘定相済候」とあることから、御蔵もあったことが知れるが、通として成立していたかどうかは不明。寛文一二年には大川目村・八日町・三日町・夏井村・侍浜村麦生・長内村・小久慈村・閉伊口村、大野村(現九戸郡大野村)、霜畑村関・日野沢村・川井村・小国村(現同郡山形村)、有家村(現同郡種市町)に制札場があった(八戸藩史料)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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