八戸藩(読み)はちのへはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八戸藩」の意味・わかりやすい解説

八戸藩
はちのへはん

陸奥(むつ)国八戸青森県八戸市)に藩庁を置いて、南部(なんぶ)地方を領有した外様(とざま)藩。もと盛岡南部氏が領有していたのを、1664年(寛文4)盛岡宗家(そうけ)から2万石を南部直房(なおふさ)が分封されて、八戸藩主となった。創設時の村数・石高(こくだか)は、御分地郡村小高帳之写によれば、合計83村、表高2万石、内高3万6200石であった。家格は、無城主から1838年(天保9)に城主格になった。行政組織は、盛岡藩と同じく通(とおり)制度を採用し、村の組織、田畑の丈量単位、年貢徴収法も本藩に倣った。農業生産は、寒冷地であるため多くを期待できないことから、八戸藩では、製鉄製塩、水産業などの振興に力を注いだ。藩主は、直房、直政、通信(みちのぶ)、広信、信興(のぶおき)、信依(のぶより)、信房、信真(のぶまさ)、信順(のぶゆき)と9代続き明治維新に至った。八戸県、弘前県を経て青森県に入る。

[長谷川成一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八戸藩」の意味・わかりやすい解説

八戸藩
はちのへはん

江戸時代陸奥国八戸地方 (青森県) を領有した小藩。寛文4 (1664) 年同国盛岡藩の相続争いから,南部直房が宗家の南部重信から2万石を分与されて立藩。9代信順 (のぶゆき) の代にいたり廃藩置県譜代,江戸城菊間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「八戸藩」の解説

八戸藩

陸奥国、八戸(現:青森県八戸市)を本拠地とし、青森県南部から岩手県北部にかけての南部地方を領有した外様の小藩。八戸南部氏の居城跡地は公園として整備されている。

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世界大百科事典(旧版)内の八戸藩の言及

【八戸[市]】より

…これが南部氏の始まりとされ,南部氏は三戸(さんのへ)に本拠を置き,郡内に一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)までの牧を設け軍馬の育成にあたったが,八戸はその一つである。1664年(寛文4)南部直房が八戸に入部して八戸藩2万石の領主となり,以来城下町として発展し,海運による交易も盛んであった。商業地区の旧八戸地区,工業地区の湊,小中野,漁港の鮫の3地区が中心で,工業と漁業が最も活発である。…

【盛岡藩】より

…1664年(寛文4)に,藩主重直が嗣子を定めないまま没したため,相続をめぐり重直の弟重信と同直房擁立の2派に家臣が分裂した。幕府はこれに介入し,翌年に藩領を二分して8万石を重信に与え,2万石を直房に分割して八戸藩を創設させた。藩は66年から81年(天和1)にかけて領内総検地を行い,領内を33ヵ所の通(とおり)に分け,そこに代官を派遣して統治する体制を確立した。…

※「八戸藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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