久米川村(読み)くめがわむら

日本歴史地名大系 「久米川村」の解説

久米川村
くめがわむら

[現在地名]東村山市久米川町一―五丁目・青葉町あおばちよう一―四丁目・萩山町はぎやまちよう一―五丁目・栄町さかえちよう一―三丁目・本町ほんちよう一―四丁目

多摩郡の北端に位置する。東は南秋津みなみあきつ村、西は野口のぐち村、南は入間郡大岱おんた村、北は二瀬ふたせ川を挟み入間郡久米くめ(現埼玉県所沢市)。粂川とも記された。中世は鎌倉街道の宿として賑わった。田園簿では高一三二石余(皆畑)幕府領、ほかに梅岩ばいがん寺領一〇石があった。その後も幕府領であったとみられ、持添新田の開発により旧高旧領取調帳では高六九二石余に増加。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む