日本歴史地名大系 「久米川村」の解説 久米川村くめがわむら 東京都:東村山市久米川村[現在地名]東村山市久米川町一―五丁目・青葉町(あおばちよう)一―四丁目・萩山町(はぎやまちよう)一―五丁目・栄町(さかえちよう)一―三丁目・本町(ほんちよう)一―四丁目多摩郡の北端に位置する。東は南秋津(みなみあきつ)村、西は野口(のぐち)村、南は入間郡大岱(おんた)村、北は二瀬(ふたせ)川を挟み入間郡久米(くめ)村(現埼玉県所沢市)。粂川とも記された。中世は鎌倉街道の宿として賑わった。田園簿では高一三二石余(皆畑)で幕府領、ほかに梅岩(ばいがん)寺領一〇石があった。その後も幕府領であったとみられ、持添新田の開発により旧高旧領取調帳では高六九二石余に増加。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by