久郎原村(読み)きゆうろばるむら

日本歴史地名大系 「久郎原村」の解説

久郎原村
きゆうろばるむら

[現在地名]筑後市津島つしま

今寺いまでら村の東、矢部やべ川中流右岸に位置する。本高は六八一石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」には久良原村とあり、古高六六〇石・役高六七六石。享和二年(一八〇二)の春免高帳によると高六九一石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田二八町一反余・開田三町三反余・畑田四町八反余・畑一三町七反余・居屋敷六反余。ほかに開田三町九反余。旧高旧領取調帳では高一千七石余。折地組大庄屋太郎左衛門の指導により矢部川の古川筋を開発して三町九反余の新田畑を得た(旧家由緒書)。元禄一一年(一六九八)稲次大七(知行地五〇石)は二町四反余を耕作する一一人の本百姓(家族を含め三二人)、馬三疋を支配した(「稲次大七知行帳」篠山神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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