日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾島」の意味・わかりやすい解説
尾島
おじま
群馬県南東部、新田郡(にったぐん)にあった旧町名(尾島町(まち))。現在は太田市の南西部を占める。旧尾島町は、1889年(明治22)町制施行。2005年(平成17)太田市に合併。東武鉄道伊勢崎(いせさき)線、国道17号(上武(じょうぶ)道路)、354号が通じる。利根(とね)川の北岸にあるが、前小屋(まえごや)集落の一部が飛び地として南岸の埼玉県側にあったのは(2010年に深谷市に編入)、利根川流路の変遷を語っている。中世に新田氏の荘園(しょうえん)として開け、近世には、江戸幕府が世良田(せらだ)に東照宮および長楽寺(ちょうらくじ)を建てて崇敬した。両者には国指定重要文化財が多数あり、隣接した新田荘(にったのしょう)歴史資料館でも保存、展示が行われている。旧尾島町は繭取引の市場町から発展した小商店街で、第二次世界大戦中は中島飛行機の軍需工場があったが、1960年(昭和35)に三菱(みつびし)電機の工場が誘致され、以後、工業団地も造成され、各種工場が進出している。野菜の生産も多い。徳川地区に満徳寺(まんとくじ)があり、同寺は鎌倉の東慶(とうけい)寺とともに「縁切寺」として知られた。満徳寺は徳川幕府瓦解(がかい)に伴い、1872年(明治5)に廃寺となったが、1992年(平成4)に旧尾島町によって復元され、太田市立縁切寺満徳寺資料館もあり、周囲は遺跡公園になっている。
[村木定雄]