今寺村(読み)いまでらむら

日本歴史地名大系 「今寺村」の解説

今寺村
いまでらむら

[現在地名]筑後市津島つしま

下妻しもつま村の東に位置。矢部やべ川右岸、同川の派川である沖端おきのはた川分岐点付近にあたる。薩摩街道に沿い、羽犬塚はいぬづか宿町から柳川藩領境の当村までは一里一〇町二三間(正保四年大小道之帳)。穀留番所があった(校訂筑後志)。旧矢部(古川)柳瀬やなぜ(現八女市)付近から久恵くえ村、久郎原きゆうろばる村東天神の前、当村前へと流れた(旧家由緒書)。本高は二二八石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高二二〇石・役高二四二石。享和二年(一八〇二)の春免高帳によると高二五二石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田八町二反余・開田一町六反余・畑田一町四反余・畑一〇町一反余・居屋敷二反余。


今寺村
いまでらむら

[現在地名]青梅市今寺

大門だいもん村の東に位置し、かすみ川の河岸段丘がみられる。村内を南北に滝山伝馬たきやまてんま街道、東西に河岸かし街道・町屋まちや街道が通る。南東藤橋ふじはし村とかつては一ヵ村であったと伝え、地内の報恩ほうおん寺蔵の文禄五年(一五九六)三月の地蔵堂棟札銘に「杣保多西郡長淵郷今寺藤橋報恩寺」と記される。塩船しおぶね観音寺に対して同寺を今寺と称したとも考えられる。地内に板碑一〇一基が確認されている。田園簿に村名がみえ、田二九石余・畑一四〇石余で幕府領、ほかに報恩寺領一〇石。寛文八年(一六六八)の多麻郡三田領今寺村検地帳(青梅市史史料集)があり、反別三三町二反余のうち田二町三反余・畠三〇町九反余(うち下畠一四町六反余)となっている(郡村誌)


今寺村
いまてらむら

[現在地名]小矢部市今寺・末友すえとも

内山うちやま村の東、渋江しぶえ川左岸の河岸段丘上に位置。正保郷帳では末友村と併記されて高付されているが、また別筆で新田高二二石余、田方六反余・畑方八反の今寺村が記されている。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二五石・免六ツ二歩(三箇国高物成帳)


今寺村
いまでらむら

[現在地名]高浜町今寺

蒜畠ひるばたけ村の北、青葉あおば山の南西中腹に立地。西は西国三十三所二九番松尾まつのお寺のある松尾村(現京都府舞鶴市)に接し、高浜方面からの松尾寺参詣道が村内を通る。地名はかつて当地から高野たかの村にかけて大寺院が所在したことによると伝える。


今寺村
いまでらむら

[現在地名]山鹿市津留つる

ひこ岳の東麓に位置し、東部岩野いわの川が南流、西・南は津留村と接する。元禄国絵図に「津留村之内今寺村」とあり、正保(一六四四―四八)以後に津留村から分村した。山鹿手永に属する。「国誌」にも村名が記され、禅宗と伝える長月山安養あんよう寺跡を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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