久隆村(読み)くりゆうむら

日本歴史地名大系 「久隆村」の解説

久隆村
くりゆうむら

[現在地名]山方町久隆

久慈川支流久隆川の上流にある。東は下小川しもおがわ村。元禄五年(一六九二)五月一七日の御領内御金山一巻(「加藤寛斎随筆」所収)に「九里宇金山」とみえる。「新編常陸国誌」の栃原とちばら(現久慈郡大子町)の項には「天保十三年本村及下小沢、大沢ヨリ、分レテ一村ヲナセルモノヲ久隆村ト称シ」とみえ、天保一三年(一八四二)大沢おおさわ(現大子町)の久隆坪、栃原村狢草むじなくさ坪、下小川村十石じつこく坪を併合して久隆村となった。「水府志料」の栃原村の項には「今大沢、栃原、下小川三村会する所を栗生とて、三村共にくりうの名有小川栗生、大沢栗生、栃原栗生されば栃原村も大沢も、下小川の内なるべき歟。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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