日本歴史地名大系 「乞田村」の解説 乞田村こつたむら 東京都:多摩市乞田村[現在地名]多摩市乞田・永山(ながやま)一―七丁目・豊ヶ丘(とよがおか)一―六丁目・諏訪(すわ)一―六丁目・愛宕(あたご)一―四丁目・落合(おちあい)三―四丁目和田(わだ)村の南にあり、東は連光寺(れんこうじ)村、南は山を境に小野路(おのじ)村(現町田市)。中央部を乞田川(落合川)が北東へ流れる。村域の大部分を丘陵が占める。古くは貝取(かいどり)村と一村であったという(風土記稿)。天正一五年(一五八七)五月八日、高麗(こま)郡横手(よこて)郷(現埼玉県日高市)の領主であった山口重明は、北条氏重臣の松田憲秀より「関戸勝河村」の内から二五貫文を陣夫扶助等として宛行われ(「松田憲秀朱印状」山口文書)、次いで同一七年一〇月三日にも関戸(せきど)の「乞田」の内から二五貫文を宛行われた(「松田憲秀朱印状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by