亀井陸良(読み)カメイ リクロウ

20世紀日本人名事典 「亀井陸良」の解説

亀井 陸良
カメイ リクロウ

明治・大正期の新聞記者 時事新報社理事。



生年
明治4年2月6日(1871年)

没年
大正12(1923)年3月11日

出生地
大分県下毛郡

学歴〔年〕
慶応義塾法科〔明治28年〕卒

経歴
古河鉱業に入り足尾銅山庶務課長を務めるが、明治35年時事新報社に転じ北京特派員となり、中国事情を研究し北京通信として報道。のち日露関係が切迫すると対露問題に携り横川省三・沖禎介らと交流した。42年欧米諸国を巡遊し、44年帰国して順天時報社社長。大正6年再び時事新報社に入り理事に就任。8年渡米してワシントン第1回国際労働会議に出席し、9年帰国。その後、尾崎行雄らと軍縮問題、日本国際連盟協会の創設に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀井陸良」の解説

亀井陸良 かめい-りくろう

1871-1923 明治-大正時代の新聞人。
明治4年2月6日生まれ。古河鉱業にはいるが,明治35年時事新報社に転じ,北京特派員となる。44年順天時報社社長。大正6年ふたたび時事新報社にはいり,理事。尾崎行雄らと軍縮問題,日本国際連盟協会の創設につくした。大正12年3月11日死去。53歳。豊前(ぶぜん)下毛郡(大分県)出身。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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