亀嵩町(読み)かめだけまち

日本歴史地名大系 「亀嵩町」の解説

亀嵩町
かめだけまち

[現在地名]仁多町亀嵩

中湯野なかゆの村の南部を南西流する亀嵩川沿いの道筋にある。天正二年(一五七四)玉峰たまみね(八二〇・三メートル)西麓の谷奥たにおくに亀嵩城が築かれ、同城下として発展した。玉峰山は「出雲国風土記」に載る仁多郡玉峯山とされる。亀嵩城は三沢為清によって築城され、為清の隠居所とされた。天正二年四月二三日の三沢為清書状(晋叟寺文書)によれば、三沢氏の菩提所である晋叟しんそう(現横田町)を亀嵩城下に移したいと思ったができず、覚融かくゆう寺を移転させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む