朝日日本歴史人物事典 「了祥比丘尼」の解説
了祥比丘尼
鎌倉時代の律宗の尼。一説に貞永1(1232)年生まれ。法明房と号す。奈良法華寺に住んでいたが,弘安9(1286)年河内国(大阪府)道明寺を復興して開山長老となり,聖徳太子十六歳孝養立像を造立,安置している。墓所は西琳寺奥の院の高屋室生院の五輪塔。<参考文献>細川涼一『中世の律宗寺院と民衆』
(西口順子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
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