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河内国 かわちのくに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

河内国
かわちのくに

現在の大阪府南東部。畿内の一国。大国。当国には応神天皇陵ほか日本最大の前方後円墳があり,応神天皇を『宋書』の倭五王と関係づけ,大和朝廷成立史において河内王朝,中王朝と考える説も出されている。

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百科事典マイペディアの解説

河内国【かわちのくに】

旧国名。河州とも。畿内の一国。今の大阪府の東部。古くから開け,人口も多く,716年和泉監(いずみげん)を分置したが,740年併合,757年和泉国として分置。《延喜式》では大国,14郡。
→関連項目大江御厨大阪[府]近畿地方

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

かわちのくに【河内国】

北西部の摂津(せっつ)と南西部の和泉(いずみ)を除き、現在の大阪府の大部分を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で畿内(きない)を形成する5国の一つ。「延喜式」(三代格式)での格は大国(たいこく)。国府は現在の藤井寺(ふじいでら)市、国分寺は柏原(かしわら)市におかれていた。古くは大和政権(大和朝廷)の拠点として開け、渡来人が活躍、応神天皇陵(誉田山(こんだやま)古墳)など多くの古墳が散在する。平安時代から多くの荘園(しょうえん)が成立し、のちに源頼朝(みなもとのよりとも)につながる河内源氏の本拠となった。鎌倉時代末期に当国の住人楠木正成(くすのきまさしげ)守護となり、後醍醐(ごだいご)天皇の討幕運動に参加して活躍、南朝方の拠点となった。その後、細川氏、高(こう)氏、畠山(はたけやま)氏室町時代にかけて守護となり、戦国時代には三好長慶(みよしながよし)織田信長(おだのぶなが)豊臣秀吉(とよとみひでよし)の領有となった。江戸時代は幕府直轄領のほかに2藩、さらに大名・旗本領や寺社領などが錯綜(さくそう)した。1871年(明治4)の廃藩置県により堺(さかい)県となり、1881年(明治14)に大阪府に編入された。◇河州(かしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

かわちのくに【河内国】

旧国名。現在の大阪府の西北・西南部を除いた大部分の地域にあたる。
【古代】
 畿内に属する大国(《延喜式》)。河内国の名称は北境にあたる淀川の〈川の内の方〉という意味に基づくと考えられている。記紀をみるとこの国名のほかに〈大河内(おおしこうち)〉〈凡河内(おおしこうち)〉の名がみえるが,大化前代に国造(くにのみやつこ)であった凡河内氏の勢力地であったことによるもので,この名称のほうが古く,そのときの地域は後の河内国よりも広範囲にわたり,和泉・摂津に及ぶものであったと推測される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

河内国
かわちのくに

大阪府南東部の旧国名。五畿内(きない)の一国で、略して河州(かしゅう)。東は山城(やましろ)・大和(やまと)、南は紀伊(きい)、西は摂津(せっつ)・和泉(いずみ)の諸国に接する。古くは摂津の一部と和泉全域をも含み、大河内(おおしこうち)、凡河内(おおしこうち)などとよばれた。早くから皇室の直轄地として、三野(みの)、志紀(しき)、紺口(こんく)、大鳥、茅渟(ちぬ)などの県(あがた)が設けられたが、大化改新後、河内国、摂津国(津国)に分かれ、701年(大宝1)国を4等級に分けたとき、大国に属した。郡の数は、初め、錦部(にしこり)、石川、古市、安宿部(やすかへ)、堅下(かたしも)、堅上、高安、河内、讃良(さらら)、茨田(まむた)、交野(かたの)、若江、渋川、志紀、丹比(たちひ)、大鳥、和泉、日根の18郡。716年(霊亀2)3月このうち和泉、日根2郡を割いて茅渟(珍努)宮(ちぬのみや)に供し、4月さらに大鳥、和泉、日根3郡が、和泉監(げん)として分離されたため15郡となった。ついで720年(養老4)11月堅上、堅下の2郡を合併して大県(おおあがた)郡とし14郡となり、鎌倉時代に丹比郡を丹南(たんなん)、丹北(たんほく)の2郡に、丹北郡をさらに丹北、八上(やかみ)両郡に分割したため、以後16郡となった。和泉監は740年(天平12)8月廃止、河内国に復したが、757年(天平宝字1)5月ふたたび和泉国として分立した。ついで769年(神護景雲3)10月、由義宮(ゆげのみや)(八尾(やお)市)を西の京とし河内国を河内職(しき)と改めたが、翌770年(宝亀1)8月廃止して河内国が復旧した。国府はいまの藤井寺市、国分寺は柏原(かしわら)市にあった。
 平安時代には多くの荘園(しょうえん)がおこり、また源頼信(よりのぶ)、頼義(よりよし)、義家(よしいえ)と続く河内源氏の本拠も置かれたが、鎌倉時代には国司の権が衰え、建武(けんむ)新政のとき楠木正成(くすのきまさしげ)が守護となり、南北朝時代には千早(ちはや)城、赤坂(あかさか)城は南朝方の根拠地となった。北朝方の細川、高(こう)氏に次いで畠山(はたけやま)氏が室町時代にかけて守護となったが、戦国時代には群雄争奪の舞台となり、三好長慶(みよしながよし)、織田信長を経て豊臣(とよとみ)氏の領国となる。大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後は、江戸幕府直轄地および丹南藩(高木氏1万石)、狭山(さやま)藩(北条氏1万石)のほか、大名飛地(とびち)領、旗本領、宮堂上(とうしょう)家領、社寺領が交錯し、明治維新を迎えた。1869年(明治2)河内県および丹南、狭山以下18藩、71年堺(さかい)、河内、五条、丹南など16県となり、同年堺県に統合。81年大阪府に編入された。現在は、守口(もりぐち)、枚方(ひらかた)、八尾、富田林(とんだばやし)、寝屋川(ねやがわ)、河内長野、松原、大東(だいとう)、柏原、羽曳野(はびきの)、門真(かどま)、藤井寺、東大阪、四條畷(しじょうなわて)、交野(かたの)の各市、大阪・堺両市の一部、南河内郡に分かれる。
 古代には渡来人により高度の文化がもたらされ、応神(おうじん)陵(誉田山(こんだやま)古墳)を中心とする古市(ふるいち)古墳群のほか、多数の古墳群が散在し、難波(なにわ)と大和を結ぶ要衝として繁栄。中世には南朝の皇居も置かれた。近世には大坂の文化が波及し、河内木綿(もめん)の産地であった。[藤本 篤]
『藤本篤著『大阪府の歴史』(1969・山川出版社) ▽『大阪府史』全7巻・別巻1(1978~95・大阪府) ▽太田亮著『河内』(1925・磯部甲陽堂)』

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