日本歴史地名大系 「予野庄」の解説 予野庄よののしよう 三重県:上野市予野村予野庄花垣(はながき)庄ともいう。現上野市予野を含む伊賀郡猪田(いだ)郷にあった。天養元年(一一四四)三月二九日の太政官符案(三国地志)に「猪田郡(郷)内予野村公田卅余町、忽号興福寺西金堂領」とある。安貞二年(一二二八)三月日の伊賀国役夫工催使解状(春日神社文書)によれば、荘田は五四町一段一二〇歩、分米五四石一斗三升三合、建永(一二〇六―〇七)頃の所済米は四〇石であった。延応元年(一二三九)春日社領大和国藤井(ふじい)庄の牛数頭が荘内に入って作麦を食荒し、荘民が牛を捕らえたところ、かえって藤井庄から牛盗人と訴えられ、このため両荘民が一触即発の険悪な状況になる事件が発生した(九月二〇日の「予野庄荘官百姓等解」福智院家古文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by