藤井庄(読み)ふじいのしよう

日本歴史地名大系 「藤井庄」の解説

藤井庄
ふじいのしよう

治承二年(一一七八)東大寺三綱等陳状案(東大寺文書)の「藤井御庄官訴申、彼四至示并当寺所領薦生村等子細状」のうちに「今藤井庄不知名弼入道相伝是也、寺家欲致沙汰之間、先年俊通入道有之刻、伝領之後寄進故左大臣家、偏募威猛、(一字抹消)為寺領成阿党、押取津料、切充杣木之事、世間大事出来之刻、被立後院御庄了者、陳于寺家不及其沙汰、(中略)何況藤井庄大和国也」とみえる。


藤井庄
ふじいのしよう

興福寺寺務領のうちの七堂灯油免田で、「大乗院雑事記」文明一四年(一四八二)一〇月四日条の「七堂灯油庄々」のうちに「布施郷藤井庄、本油二升五合近年下与次全無沙汰」とある。所在は現大字南藤井と考えられる。そのほか、応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の葛下郡に「一乗院方 藤井庄十二町」、「大乗院雑事記」文明元年一一月二二日条には、摂関家領平田ひらた(領家一乗院)の内として「一丁七反半、藤井庄」があり、この藤井庄の本家は摂関家と考えられるが、両庄の関係は不明。ともに一乗院領である点で同一荘園と推測できるが、所在は葛下郡内という以外は不明である。

右のほかに、「吾妻鏡」建久六年(一一九五)九月一八日条に「蓮花王院領大和国藤井庄事、岡冠者頼基募関東一族之威、恣号地頭、違乱所務之由、有領家訴(下略)」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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