二ノ関経塚(読み)にのせききようづか

日本歴史地名大系 「二ノ関経塚」の解説

二ノ関経塚
にのせききようづか

[現在地名]富谷町二ノ関 館山

標高五〇メートルほどの丘陵を利用した二関館跡の頂部の平坦面に造営されている。現在も径約八メートル、高さ一・七メートル前後の塚が二基ある。うち一基は寛政九年(一七九七)に発掘され、大谷土橋(おおやつちはし)村(現大郷町)の宇角文六郎近教が「古碑並珍説」という手記に、図入りで記録を留めている。これによると、塚内部に小石室をつくり、経筒を入れた瓦(陶製の外容器か)を据えたもので、経筒の周囲には木炭が詰められていたという。現存する経筒は全長二一・八センチ、径九・八センチの青銅製。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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