黒川郡(読み)くろかわぐん

日本歴史地名大系 「黒川郡」の解説

黒川郡
くろかわぐん

面積:四一八・三二平方キロ
富谷とみや町・大郷おおさと町・大和たいわ町・大衡おおひら

県のほぼ中央部。西端にある船形ふながた連峰の根元から東へ末広がりに広がるような形をなす。連峰の一つ北泉きたいずみヶ岳(一二五三・一メートル)に源を発する吉田川が郡のほぼ中央を東流し、途中郡内の山沢の水のすべてを集めて、東端から展開していた品井しない(現在は干拓されている)に注いでいた。主要幹道は、中央をほぼ南北に走る国道四号(奥州街道)と、ほぼ中央に位置する大和町吉岡よしおかから北へ玉造たまつくり岩出山いわでやま町に向かう道と、東へ宮城郡松島町・利府りふ町、多賀城方面に向かう道とが分岐する。西から北にかけては、加美かみ色麻しかま町、志田郡三本木さんぼんぎ町・松山まつやま町・鹿島台かしまだい町、東から南にかけては松島町・利府町・泉市・宮城町に囲まれる。

黒川の名は「続日本紀」天平一四年(七四二)正月二三日条に「黒川郡以北十一郡、雨赤雪平地二寸」とある。

〔原始〕

遺跡は船形連峰から東に延びる大松沢おおまつざわ・富谷の丘陵上と、丘陵間を貫流する吉田川およびその支流によって開析された東西に細長い沖積地に面する段丘上や、南と北から掌状に延びる丘陵上に散在する。縄文時代の遺跡には、吉田川下流の北岸、かつて品井沼に面した大郷町の大松沢貝殻塚かいがらづか貝塚があり、シジミを中心とした縄文中期の環状貝塚である。その東約一キロ、鹿島台町大迫おおばさまにも同じシジミ主体の石竹いしたけ貝塚があって、周辺の環境とその変化を示している。大松沢貝殻塚貝塚には貝塚に関連した手長明神の伝説をもつ手長てなが明神社がある。大衡村上深沢かみふかざわ遺跡からは、二一棟の中期末の竪穴住居跡が発見されて、縄文集落の構成と変遷を明らかにした。大和町鶴巣勝負沢つるすしようぶざわ遺跡でも中期の遺物が多量に発見されている。弥生時代の遺跡の発見例は少ない。現在三遺跡のみで、大郷町深谷しんや遺跡から石包丁、富谷町日吉神社前ひよしじんじやまえ遺跡からアメリカ式石鏃が発見されている。

古墳は郡東部の吉田川南岸丘陵沿いに集中する。桃生ものう鳴瀬なるせ町の上下堤じようげつつみ古墳群や大郷町の明神みようじん古墳群・ぼうさわ古墳群など埴輪を伴った古墳の延長線上に、黒川郡の古墳文化の中心となる埴輪をもった大郷町粕川の諏訪かすかわのすわ古墳・山中やまなか古墳など中期古墳が続く。その西方二キロの大郷町鶉崎うずらさきには、十数基の円墳群である鶉崎古墳群がある。その中心の大小寺だいしようじ古墳は直径が二五メートルあり、木棺直葬の埋葬施設がみられ、時期も諏訪古墳よりやや新しいと考えられている。大和町鶴巣の鳥屋とや八幡神社裏山には、横穴式石室をもつ鳥屋八幡古墳があって、造営年代は八世紀に下ると推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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