二本松山古墳(読み)にほんまつやまこふん

改訂新版 世界大百科事典 「二本松山古墳」の意味・わかりやすい解説

二本松山古墳 (にほんまつやまこふん)

福井県吉田郡永平寺町の旧松岡町吉野堺に所在する。円墳とされていたが,現在では前方後円墳とする説が強い。九頭竜川が福井平野に入る地点の南岸,標高273mの二本松山頂上に南西面して築かれる。墳端の位置は明確でないが,全長90mを測るという。葺石(ふきいし)を欠き,埴輪を有する。享保年間(1716-36)に密掘し,後円部から石棺をとりだした。そのおり甲冑人骨などがあったと伝えるが,1880年の再発掘では,玉類など少量の遺物が出土したにとどまる。その後1906年に三角点を設けるさい,後円部からさらに石棺1基が発見された。この石棺は刳抜(くりぬき)式で,身・蓋の各側縁に縄掛突起をそなえ,底石に排水孔をうがつ,一種の家形石棺である。出土品として,鏡,管玉,冠,眉庇付冑(まびさしつきかぶと),短甲,鹿角製刀装具などがある。金銅製,銀銅製各1個からなる冠は,日本では古い年代に位置づけうる。古墳の年代は5世紀後半にあたる。
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国指定史跡ガイド 「二本松山古墳」の解説

にほんまつやまこふん【二本松山古墳】


松岡古墳群(まつおかこふんぐん)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の二本松山古墳の言及

【福井[市]】より

…福井平野の中央に位置する福井県の県庁所在地。1889年市制。人口25万5604(1995)。古くは北ノ庄と称した。現市街の形成は1575年(天正3)柴田勝家が足羽(あすわ)川北岸の自然堤防上に北ノ庄城(本丸跡は現在の柴田神社といわれる)を築城したことに始まるが,1600年(慶長5)に入り結城秀康が城を改築して現在の県庁のところに本丸を移し,城下町を拡大した。大名ロータリー周辺の現在の中心街はもと城郭内で,濠を幾重にもめぐらした堅固な構えであった。…

※「二本松山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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